韮山反射炉 2015.11.5 Part4

  ■DATA

資料が少なくて、展示スペースが空いて、適当な物を置いたのかな?

一応、ロシア人のプチャーチン提督、日本人の戸田村長の像もあるけど。

 

古墳の遺跡コーナー

 

出土品

 

この資料館の主人公的存在のプチャーチン

 

この資料館を作った時の村長さん

 

やっと造船資料館のコーナーへ。

どんなものがあるんだろう?

 

長々と書いてあるけど、この資料館の概要

 

この当時は、島国なのに鎖国していた影響で、外国に行ける船が造れなかった!

 

ディアナ号ともう1つの主人公の戸田号 帰国用の船を迎えに行く? 戸田号では直接、ロシアまで行けないのか(汗

 

これまた入って唖然。

たったのこれだけ?

 

館内の様子 たったのこれだけ・・

 

部屋は1フロアあるだけで、奥とか何も無し。

こ、これだけですか(汗

 

プチャーチン年表

 

プチャーチン年表 その2 当時の世界情勢か 各国の侵略が相次ぐ時代・・

 

ディアナ号が津波に遭い、やがて沈没・・

 

最後 戸田号で帰ったのは、たったの50人?! うーん、作った意味あったのか?(汗

 

大きな船の模型はある物の、特に目立つ物はない。

ショーケースの展示物だけか・・。

とりあえず、見て行こう。

 

これがディアナ号! 大阪万博で展示され、その後寄贈されたもの

 

ディアナ号のスペック 速さは? 砲門の口径は? 対空防御は0か・・汗 対潜魚雷も無い・・汗

 

名前からして、造船の歴史とか、船に関する資料館だと思っていましたが、実は違ってました。

この戸田は江戸時代末期、ロシアの戦艦が地震の津波に寄って沈没し、犠牲者は居なかった物の、船が無くなりロシアに帰れなくなった。

そこで戸田の人達が、帰るための船を作ってあげて、それ以来ロシアとの交流ができた。

そのことの資料館。

 

過去の東海地震!! もう発生しても、おかしくない・・(つд`)

 

津波に遭った時は、船内に乗員がいたのだろうか?

 

ディアナ号の最後の航路 点線は何?

 

今では、敵対関係のロシア。

それが仲が良かった時代があったのは、驚きですよね。

当時の関係者としては、ロシアが条約を破って、日本に宣戦布告した時、どういう心境だったんだろう・・。

ロシアから侵略を受けた時、この戸田の人達は、どう思ったのだろうか・・。

 

プチャーチンの行った所 ものすごい距離!! この当時の航海は危険が付き物 羨ましいとは言えない物か

 

津波で沈んだ戦艦、ディアナ号は帆船。

江戸時代の船だから、戦艦と言ってもその程度。

蒸気すら、まだ実用化されていない。

それでも、まだ日本にとっては、進んだ技術だったんでしょうね。

 

遭難絵巻 私が子供の頃は、外人が珍しかったけど、この当時は宇宙人を見るかのごとくの、珍しさだったろうね

 

帆船といえば、北陸旅行で見た海王丸を思い出す。

いっぱいある帆。

同じ帆船でも、建造目的はまた違いますが・・。

 

絵巻の始まり始まり〜 これがロシア人か

 

プチャーチン提督一行が、日本人、戸田の人達に出迎えられた様子が描かれている。

唯一の、当時の様子を伝える物でしょうか?

 

ロシア人というと、普段からウォッカ飲んでるイメージが( ̄◇ ̄;)

 

フランスとの戦闘って、日本海辺りまでフランスが来ていた?

 

その隣には、ロシア側の大尉モジャイスキーが書いたリアルな絵、写真が並べられてる。

やはり写真があると、時代を隔ててもよく分かるから、いいですよね。

写真は偉大だ!

 

交渉コーナー

 

犯罪者?! どうやっても目線が入る(汗

 

重要な記録係だったモジャイスキー

 

当時のカメラなんて、機能なんてないだろうし、原始的な作りで撮影も難しいものだったろう。

それを扱えたなんて、よほど器用だったんでしょうね。

羨ましいなあ。

 

右の人、目が怖い・・(つд`)  やはり西洋人と並べると、日本人は負けるな(汗

 

どんな交渉だったんだろう? ペリーの様に圧力をかけ、日本に不利な形での条約締結だったんだろうか?

 

沈んだディアナ号の物も展示されてました。

ほんの少しだけど・・。

 

遺品?コーナー

 

今でも海の中には、ディアナ号が眠っているのでしょうか?

引き上げたりとか、その後の事は書かれていませんでした。

最近だと、沈んだ戦艦の位置を発見したり、映像を撮ったりがあるけど。

 

もう1つの船、"ヘダ号"が出て来ます。

ロシア人達が、ロシアに帰るために作った船です。

 

7人の侍ならぬ、船大工

 

日本には造船技術がないし、作るのは大変だったでしょうね。

できる限りの資料を集め、ロシア人からの協力を得たみたいですが。

 

戸田号の建造開始!この後、日本とイギリス、ロシアと戦う事に・・  大正時代は、イギリスと親交があり、戦艦を購入したりしたんだっけ?

 

戸田号建設の関係者

 

たまたまディアナ号に雑誌があったから、戸田号を作る事ができた?!

 

当時に使った大工道具、設計図等が展示。

こちらも、あまり数は無いですが。

 

設計図? えらく簡易的だね CADとか無くても作れそう( ̄∇ ̄|||)

 

何故か袴も展示 

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