沼津御用邸 2016.11.16 Part3
■DATA
調理もその辺の事情で、火が基本的に使えなかったりで、大変そう。
良い意味でも悪い意味でも、炭火が基本か・・。
ガスもあっただろうけど、爆発の危険があるから使用も持ち込みも、禁止だったのでしょうか。
、、、今のご時世なら、テロ対策で禁止になってても納得ですが。
料理が出来てから・・ すぐに出される訳ではないのか
肝心の料理に関しては、普通だったのか。
建物からしても豪華さは無いし、"体に悪い物が無い"ことがあるだけで、食べている物は同じ様な物か。
、、、食材は普通でも、調理のプロが作った物を毎日食べてたんだろうけど( ̄◇ ̄;)
案内図 調理に関する部屋は多い・・ 順番に部屋が作られているが工程が多いね・・ 飯はまだかっ!!(`Д´#)って叫んでそう
冷蔵庫もあったにはあったけど、氷を使う様な不安定なものだし、今では考えられない大変さがあったみたい。
御用邸で食中毒を起こそう物なら、関係者の首が一気に飛ぶでしょうからね。
一同、中庭に引き立てられて、一斉に処刑が・・(;´д`)
夏場なんか、生きた心地がしないな。
その調理過程やらを再現したコーナーがあったら、面白そうなのにな。
今と当時では時代の違いもあるだろうし、一般家庭との事情も違うから、興味深いコーナーが作れるでしょうね。
誰もが興味を持つ所だろうし。
隣には、玉座のイスの説明が。
実物は無く、写真のみだけど・・。
玉座! 王のイス! 猫のイスは猫座!(汗
今では珍しい形の物で、当時としてもお金持ちや皇族専用の家具だったんでしょうね。
必殺仕事人を見てても、幕末だからか、悪徳商人の家にはこういう調度品がありましたが。
写真で紹介 謁見所ってあったっけ?(汗
御殿の修復。
今見ると、普通に奇麗ですが、修復されていたんですね。
昭和44年で使うのをやめてるわけで、作られた時代はもっと前だから、痛むのも当然か。
説明ルーム? 侍従候所
原型を忠実に保つ為の修復 文化財は大変だね・・
元々は昭和以前にもあった建物だけど、戦争末期に沼津が空襲を受け、その時に消失したらしい・・。
それを復元というか、建て直したそうだから、昭和初期の建物という事か。
ガラスの事も書いてある! 昔のガラスは、こうだった?
大規模な修復工事があったのは、今から20年前。
修復からも、結構、経っているもんだな。
住んで居るわけじゃないから、痛むスピードは普通の家とは違うだろうけど。
照明の色も、懐かしい色のタングステン
修復当時の説明が、簡単にしてあるけど、それを読むだけで大変そうなのが分かる。
単に直せばいいわけではなく、当時の様子を保つ、史実に基づいて復元、維持することが大事だから調べなきゃ行けない。
時代的に調達できないものもあるだろうし、新たに作れる物なのか検討もしなきゃならない。
例のガラスは、やっぱり手作りだったんですね。
もう国内では作れないから、ドイツからの輸入というのは悲しい。
もう日本では、ガラスを作れる職人さんが居ないのか・・(;´д`)
made in japanは、どこいった?!
電球などに関しても、その辺で売られているものではない。
私の好きなタングステンの照明ですよ。
明るくは無いけど、味わい深い色で写真を撮るには適している照明。
御用邸のある、沼津市自体の説明もある。
地元の人にとっては、昔の沼津を知る事が出来て、面白い?
当時の沼津について
今では要所の1つだろうけど、当時はどうだったんだろう?
新幹線も高速道路も、無かったですからね。
それらがないと、発展していたのかは分からないし。
沼津御用邸設置のいきさつ
"風光明媚"なのか? 沼津が?
御用邸は保養地、別荘の意味合いが強い。
当然ながら、寒い、暑い所は駄目で、事前に調査しているんですね。
沼津って、そんなに快適なの?
ベルツ 日本人と結婚したのか 明治は外人に何でも頼っていた 今では考えられないな
これが"風光明媚"だった当時の様子 モノクロだから寂しい感じしかしないが・・
東京を中心に考えているから、東京に近いというのが前提だから、そうなってくるのか。
日本の中では、もっと快適で良い所もあるだろうけど、東京に近いという条件があるから、限られてしまうのか・・。
その中で選ばれた沼津。
伯爵! 日本にも伯爵あったのか
伊豆は観光するにはいいけど、今でも交通が不便な半島。
当時なんて、もっともっと不便だったから、伊豆まで行かずに沼津ならまだ行きやすいということで、伊豆は選定もされず
沼津どまりになったのでしょうか。
江戸時代生まれの人か えらい出世したもんだなあ
沼津なんて、町だけど観光不向きでしょうからね。
魚を食べに来るには良いけど、過ごしやすい、避暑地のイメージは皆無だし。
やはり交通の便が、最大のポイントだったように思われる。
当時の御用邸の復元模型。
空襲で燃えてしまったから、燃える前の様子。
今よりも広かった?
燃える前の御殿 アメリカ軍も軍事施設以外を空爆って、頭おかしいのか?
最初の建物は、明治26年に作られ、どんどんと増築。
その数、100を越える部屋になったとか。
家の中で、迷子になりそうだね( ̄◇ ̄;)
部屋で見ると、こんなに多い! 細かく作られてるな・・
それぞれの部屋には名前が・・
どんだけ、あるんだよ・・(;´д`)
家族は勿論、係の人とかもまずは部屋の位置を覚えるのが、最初の仕事だったんだろうなあ・・。
場所柄的に、入って良い場所、入っては行けない場所もあるだろうし。
当時あった建物の一つか
その中の様子 この御殿と違い、宮殿の様な豪華な内装!
展示物が少ないけど、ショーケースに金具がいっぱい飾られてました。
市販品ではなく、やはり専用の特殊な物なのか。
色んな金具
製作行程
沼津御用邸以外にも、日本各地にこういったのがあったみたい。
その殆どが、地震、空襲で失われているみたいだけど・・。
他の離宮、御用邸など 明治時代が最盛期?
岐阜は寒いし、海も無いからなかったのかな?( ̄◇ ̄;)
別荘地の様な、いいところじゃないと作らないだろうしね。
今も残る離宮の様子
日本各地の景勝地に、別荘があったなんて羨ましいなあ。
そんなに沢山あっても、利用するのは数年に一度とか、そんなものじゃないのだろうか?
その間の警備も費用だろうし、管理も大変そうだ・・。
この部屋も展示物が多数
瓦や木組み等 燃え残った?
調度品は、こういう専用ケースに入れられて運ばれて来たのか
展示品の中に、国家の"君が代"に出て来る、"さざれ石"が出て来ました。
実は君が代のモデルは、岐阜なんですよね。
さざれ石の産地と言えば、岐阜ですから。
天然記念物のさざれ石! 勿論、岐阜産
もしやと思って展示物を見ると、やはり岐阜産のさざれ石。
ツーリングでも行った、春日村のものでした。
私の住処と同じ、西濃エリアの村!
クロックノールという珍しい、玩具が展示されている。
外国の玩具?
聞いた事が無いな。
謎の玩具・・
これの事らしい なんで上流家庭のみ? 高そうな物には見えないが
それにしても、この部屋には、やたらと説明が多いな。
文字ばかり続くと、疲れるから端折るか(汗
こちらの西付属邸の造営 なんと伯爵の別荘地だったのか 中古物件?(;´д`)
また部屋の名前がでてきたけど、少ないぞ? 初期の部屋数?
団体の人が多いけど、当然ながら団体の人達は時間が無いから説明は完全にスルー。
部屋や庭を見て進むのみ・・。
これだから、ツアーは嫌なんですよね。
観光できない。
何しにきてるんだ?
お金を払って・・。
ビデオを見る人達も ずっと見てたから、何をやってたのかも分からなかった(汗
せっかくなので、東付属邸の説明までご紹介。
西もあれば東もある訳で、もうひとつの建物があるみたい。
リッチだなあ・・。
東付属邸のことも書いてある
こちらと違って、部屋数は普通か 目的が学校みたいだったからか