長崎旅行 9日目 ジュリアン記念公園〜バスチャン屋敷跡 2013.4.14 Part1
■DATA
■Mocoのバッテリーが無い!
普通なら土日は観光せずに、宿泊地に留まって、ドライブ記事を作っているのですが
今回は、日曜日なのに観光をしました、、、というか、しなくてはいけない事に・・(汗
MacBookで記事を作っている訳ですが、ある程度減ったらMocoで充電して使っていたのですが、充電できなかったり様子がおかしい・・。
ひょっとして、Mocoのバッテリーが弱っている?!
iPhoneで、車のバッテリーについて調べてみると、ただエンジンをかけるだけでは、殆ど充電されないらしい。
ちゃんと充電するには、走らないと行けない。
そんなわけで、急遽、ドライブ記事作成は中止。
少し走る事にしました。
最初は、いつもの式見ハイツまで温泉に入りがてら、充電しようと思ったけど、それでは走行距離が40kmちょいと短い。
温泉入ったぐらいでは、時間も潰せないし、余計にバッテリーを使ってしまう。
そこで、まだ走って居ない道の駅から北側を走って、それから式見ハイツに行こう。
往復100kmぐらいになるし、それぐらい走れば、それなりに充電されるだろう。
そんなわけで、元々は観光するつもりもなく、ただ走って温泉に入るだけのつもりだったので、今回は一切、ドライブメモも記録はとってません。
写真のみ・・。
この写真は、翌日の観光記事にオマケとして載せる程度のつもりだったけど、何だかんだ言いながら観光してしまったので、書く事にしました( ̄∇ ̄|||)
先日は、出津教会に行ったけど、さらに北上。
このMocoで、こちらに来た時に通った道も越えて、北上しました。
この先には、何が有る?
ガソリンが半分になったので、もうそろそろ給油したいけど、GSが無い。
あろうことか休みのGSばかりだし、セルフは全く無くて、有人ばかり。
値段は158円ぐらいだったけど、セルフじゃないとね・・。
ねこちゃ村ですら、日曜日も営業しているし、セルフもあるっていうのに・・。
遠くに島々が見えるけど、あれが大島?
昨日、温泉は無いかとぐるぐるMapで調べてたけど、ホテルは有れど日帰りが無くて、行くのを辞めた島。
橋を渡って行ける島だから、興味あったんだけどね。
その島に行くフェリーなのか分からないけど、乗り場が有りました。
まわりには駐車場があったけど、有料ばかり。
おいおい、こんな土地が高く無い様な所で、有料?
島の観光のために、無料でやったらどうなのかなあ・・。
今日は選挙デーみたいで、あちこちから五月蝿い車が。
ただの迷惑にしかならないんだから、選挙活動は辞めて欲しい(-_-メ)
さて、もうすぐ25kmぐらいになるか。
道の駅から25km走れば往復50km。
式見ハイツまでも25kmだから、これで100km程度だ。
大橋手前で戻るかな。
■中浦ジュリアン出生の地
ジュリアン記念公園
戻ろうとしたら、観光地ぽいのを発見。
名前からして、キリシタン関係か。
駐車場があるみたいだから、そこに入ってUターンしよう。
標識に従って入って行くと、村の中の狭い道路へ。
なんだなんだ?!
1.5車線のキツい下り道。
日曜日だからなのか、続けて対向車がやってくる。
勘弁してくれ(>_<)
ようやく動けて、駐車場へ。
選挙活動をやってるのか、駐車場には車がいっぱい。
これ、観光の車じゃないだろ(-_-メ)
駐車場 中央の水色新型Mocoとは、この後・・
教会でもないし、特に興味も無いけど、せっかく来たんだし観光してくるか。
公園と書いてあったけど、この駐車場からは少し離れている。
公園とは別方向の場所に、説明文が
あそこに変な像があるけど、あれが記念公園か。
公園という割に、遊具も無ければ広場も無い。
あるのは、ポンツと建っている建物と言うか、小屋というか。
公園の解説
憧れの響きが有る"大航海時代"でも後悔はしたくないね( ̄∇ ̄|||)
これが資料館?
入れるのかな?
扉を掴むと、開きますね。
中の様子 ガランとして・・
中に入るとビックリ!
な、何も無い( ̄∇ ̄|||)
ジュリアン年表1 ここまでは輝かしい人生
ジュリアン年表2 最後の方は・・
よく見ると、壁に画が書いてあり、それがジュリアンの一生の流れになってるんだ。
なるほどね。
中々いい生まれ このコンセントが気になった・・( ̄∇ ̄|||)
運命の出会いか これがなければ、当時のそれなりのいい人生があったのかも・・
ジュリアンというのは、簡単に言うと、少年達がヨーロッパに使節として旅行?してきた少年達の一人。
ああ、あれね。
大航海へ!
洗礼名は、どうやってつけるんだろう? リクエスト?適当?
旅行と言えば、聞こえはいいですが、当時の船旅は命がけ。
大航海時代ってやつですね!
国王に謁見! 少年達がだよ? すごい時代だ
天候もそうだし、海賊なんてのもいる。
疫病もあるし、長ければ長い程、生きて帰って来る率が低い時代。
命がけだ(>_<)
この当時のヨーロッパは絶大な力を、持っていたんでしょうね。
まだアメリカ大陸が発見されるかどうかの時代だし、イギリスが大英帝国として世界を牛耳って、ヨーロッパ列強が、アフリカを植民地にして
争ってた時代でしょうか。
だからヨーロッパは、大きな戦争もあったものの、繁栄を極めていた。
そんな時代に、使節として連れて行ってもらえる。
すごいですよね。
ローマ法王にも謁見!
ローマ教皇、ジュリアンに風邪うつされて亡くなった?!Σ( ̄□ ̄;)
それにしても、本当に長い航海なんですね。
片道2年半・・。
途中では、港に寄港して物資の補給していったんだろうけど、この当時の記録では、食料を積み込んでも保存技術が無いため、
食料は、2、3日で傷むとか・・。
大半の日々は、食料とは言えない状態の物を、食べるしか無かったこともあるそうです。
どんなものを食べてたんだ?!(;´д`)
帰国したのが、8年半後・・。
随分と、遊んでた?んですね( ̄∇ ̄|||)
帰って来ました!
活版印刷機を持ち帰ったのは、大きな成果ですね。
当時の出版がどんなかは分からないけど、多分、手描きのコピーがまだ主流だったのでは無いでしょうか?
活版印刷機が有れば、簡単に同じ物を刷り上げる事が出来る。
キリスト教の聖書を沢山作って、信者を増やすためにもらってきたんでしょうね。
その後は、司祭になるために頑張り、見事に合格。
これでめでたし、めでたしですが、時代は許してくれませんでした。
時代は徳川家康の時代、禁教令です。
ここから時代が変わる・・
キリシタンの人達は、厳しく弾圧されても、信仰を捨てないんですよね。
どうして、そこまでするんだろうと、思ってしまいますが。
例のごとく、ジュリアンも捕まり、処刑される事に・・。
キリシタン弾圧の処刑方法は、色々とありますが、ジュリアンが受けたのは、穴釣りの刑。
これまた、マニアックな・・。
ジュリアンの最期・・
鬼の様な捜索だったのだろうか・・
穴を掘って、その中に逆さ吊りにする刑です。
これだけ聞くと、なーんだと思われがちですが、これをやられると血液が逆流というか巡らなくなって、顔が真っ赤っかになって、
血が垂れて来るとか・・。
じわじわと殺される、むごい処刑の一つですよ(>_<)
小さいショーケースに、ジュリアン縁の物と思われる物がありました。
唯一の展示物?
読めない・・ 十字架が有るけど、本物?
これは聖書?
ベネディクト16世は性的虐待問題で、戦後最悪のローマ法王だったらしい・・(汗
展望台が上にある。
ここにも、いくつかパネルがあって、説明書きが有ります。
展望台
ジュリアン達がヨーロッパに行ったルート、見て来た街など。
とてもリッチな旅ですよね。
どうしてヨーロッパには、こんな素敵な建物が有るのに、日本では今でもこういった、シャレたデザインの建物が無いんだろう?
こんな街だよ! まさに海外旅行 九州旅行とは、エライ違い?!(汗
ここからの景色 バクダッドまで1万km 地続きなら行けなくも無いね