長崎旅行 12日目 浦上天主堂〜大浦天主堂 2013.4.18 Part3

  ■DATA

平和への祈り。

医者を目指し、日中戦争から帰って来てからは、キリスト教に改宗したこともあって、平和に対する思いは、人一倍だったんでしょうね。

 

平和への祈り

 

小学校にあるそうだけど、場所が場所だけに見に行けない(汗

 

被爆を体験した人にしか分からない事実・・

 

例え、どんなことがあっても相手を恨まない、常に感謝の気持ちを、、博士の生き方を感じる

 

それらのエピソードと共に、ここにも博士直筆の品々を展示してあります。

うんうんと、頷きますね。

 

豚のしっぽ?! 猫のしっぽは役に立つにゃ ブンブン

 

これはいいね 最悪になった時に思い出すといいかも・・

 

浦上天主堂のアンゼラスの鐘 こんなバラバラに・・

 

ヘレンケラーとも親交が!

 

博士が被爆した時の事・・。

時系列で、その当時の流れを説明していますが、ものすごくショックを受ける内容があります。

 

いよいよ原爆が・・

 

博士自身は、大学に居て怪我はした物の助かり、すぐさま助かった人達とともに、怪我をした人の救護活動にあたって居ました。

 

血が・・ それでも救護活動へと

 

絶望の中から、希望を見いだす・・

 

被爆していても、自ら現地調査を・・

 

その時の様子か? 偶然にもアメリカ軍のビデオにその時の様子が映ってたらしい

 

しかし、奥さんの方は原爆によって即死・・。

家が崩壊し、瓦礫となった中で奥さんを発見するのですが、もはや人間の形をしておらず、変わり果てた姿の奥さんと、溶けたロザリオのみ

があったそうです。

 

ただ亡くなっただけでも悲しいのに、これは酷過ぎる・・

 

子供達のショックも、計り知れない物が、あったでしょうね。

流石に、お母さんの遺体は見ていないと思いますが・・。

 

桃の缶詰の話は悲しい物がある・・

 

残されていたロザリオ ロザリオですら、こうなるんだから人間の体は・・

 

爆死証明書・・ こんなものがあったんだ・・

 

お父さんの命も、あと数年と言われているのに、お母さんが原爆に寄って突然、殺されてしまっただなんて。

まだ小さいし、これからどうすればいいんだって、不安もあったと思う。

 

戦争が終わり、生き残った人達の救護へ・・

 

医学と信仰。

運命的な物が、あるのかもしれませんね。

元々博士は、内科医を目指していたけど、卒業式の時に中耳炎にかかってしまい、聴診器を使う事ができなくなってしまった。

そこで代わりに選んだのが、放射線科の道。

 

人類愛! 猫にも猫同士の絆がある!

 

運命の悪戯か?

 

ここで、博士の人格形成に大きく関わったのでしょうか?

 

軍医としてでなく、人の医者として活動

 

第二次世界大戦開戦前に、結核が流行、予防処置としてレントゲン検査を毎日沢山してたそうです。

そこへ開戦が・・。

物資の不足に寄り、フィルムが無くなってしまい、これ以上の検査が出来ない。

 

もし、この事がなければ、博士の活動もまた違っていたのか? どのみち被爆で運命は同じだったのか?

 

普通なら、仕方ないねと諦める所ですが、博士はフィルムを使わずに直接、レントゲンを見る方法を行う。

、、、当然、そんなことをすれば、放射線を浴びてしまう・・。

 

一日一人分までなら、許容量だそうですが、博士はそんなんで検査になるかと100人も検査したそうです。

そうなると、当然、放射線障害にかかってしまう。

 

沢山の人の命を救って来たのに、博士が犠牲になるなんて・・

 

多くの人の検査と引き換えに、博士自身が白血病になってしまいました。

仲間の医者の診断では、余命3年。

死の宣告・・。

 

その時の検査の様子や、医科大学で学生に講義をしている博士の姿を紹介。

ここまで、自分を犠牲に出来るなんて・・。

最初から、死を覚悟しての検査にあたったのでしょうか。

 

その時の博士の体

 

最後の講義 この時の学生の心境は、どうだったんだろう?

 

臨床講義をする博士

 

永井博士を知るためのムービーがありました。

4本立てで各5分。

日本語、英語の音声はともかく、大人用、子供用までありました。

 

ビデオコーナー

 

内容

 

いつもなら、iPhoneで録画するところですが、ここは録画禁止・・。

うーん、どうしよう?

100円で、写真撮らせてもらったし、ここは我慢しよう。

 

売店というか、販売コーナーには、博士が執筆した本が売られていました。

流石に、本を読んでいる時間が無いから、まあいいか。

 

病床で書いた物がこんなに!

 

Tシャツも 最近流行?の馬鹿なメッセージが書かれたTシャツとは違う!

 

この辺りの博士と縁のある場所

 

生まれ故郷にも記念館が

 

2Fは図書コーナーになっている。

原爆に寄って本等の教材が焼失し、勉強ができなくなった子供達のために、博士が作ったのが始まりだとか。

 

"うちらの本箱"という名の図書コーナー

 

日本各地だけでなく、博士の行動に共感した世界の人々から寄贈が相次いだそうです。

ちゃんと、日本語の本だったのでしょうか?( ̄∇ ̄|||)

 

ここの前身であり、ルーツでもある

 

寄贈がメインだからなのか、色々バラバラな本がいっぱいありましたね。

児童書などは、ちゃんとしてましたが。

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