治水神社 2014.2.20 Part2
■DATA
いよいよ、ここから宝暦治水の始まりですね。
工事の申請と言うか、住民の届出。
これが、悲劇の始まりなのか?
工事をしても、洪水が無くならない・・ というわけで立ち上がった!!
住民の願い・・ 長い!!
これが宝暦治水の概要
そして始まる、治水工事。
工事のための調査などから始まるけど、どうしてわざわざ遠くの薩摩藩に命じたのか、その経緯、背景は書かれてない。
幕府の政治的な陰謀なのか、治水工事と言えば薩摩藩だったのか分からない。
薩摩藩の力をそぐためかと思ったけど、ただでさえ財政難に喘いでたらしいし、それもなさそう。
なんでだろ?
工事の計画図
工事は、4カ所に別れて行われた
絵図も使いながら、工事の説明があるけど、よくわかんないなあ。
ふるい絵図だし。
グラフィカルなイラスト付きの、解説図が欲しいですね。
工事にはつきものの犠牲者・・
最初の犠牲者の報告書らしい 字が下手過ぎて読めん・・
工事で亡くなった人が84人とあるけど、事故で亡くなったわけではなく、疫病、自害した人が大半みたい。
なんで、自害に至ったのかも書かれてないし、大雑把すぎる・・。
それを知りたくて、ここに来たのに・・。
犠牲者?は、みんなまとめてではなくバラバラに葬られた・・
その1つの海蔵寺 訪れる人は、居るのだろうか・・
あとは、亡くなった義士を葬ったお墓のある、寺院の位置などの紹介だけで、宝暦治水のコーナーは終わり。
え?
たったのこれだけ?
他の所にも、あるんだよね?(汗
あとは、平田靫負の人物紹介と胸像があっただけ。
これは、酷い・・。
岐阜にとって、恩人でもある偉人なんだし、もっと掘り下げて紹介しても、いいでしょうに・・。
しかも、海津はその地元でもあるのにね。
平田靫負の解説 うーん、説明になってるの?(汗
こういう顔してたらしい
ちょっと詳しい解説 そういえば工事費の調達に関しての解説が全くなかったな・・
あとは当時の、工事事情の紹介やら、色んな資料の紹介がありました。
これも、よくわかんないなあ。
わかりにくい。
元々が、興味の無い物という事も、あるでしょうが。
油島食違堰の絵図の説明らしい・・
こんなつきでた形をした堰
この地域の領主が多く、管轄がバラバラだったため工事しにくかったらしい
時は江戸から、明示に移り、近代的な工事が始まる。
宝暦治水では、技術的に適当な?工事しかできなかったけど、オランダから技師を招いた事もあり、
本格的な近代工事を実施。
そのおかげで、洪水がかなり無くなったそうです。
明治に入って、近代的な治水工事がされる
それを行ったオランダ人デレーケ
25年もかかったって、どんだけの大工事だったんだろ 費用は?
この人は、切腹しなかったのか( ̄∇ ̄|||)
デレーケは写真もある 左の子の写真は何?Σ( ̄□ ̄;)
今は日本の技術も世界レベルになったから、国内の人間でやっちゃうけど、慢心もあるだろうから
明治の頃の様に、外国から技術指導をしてもらったり、技術導入してもいいんじゃないかと思いますね。
思い上がりを改めるためにも、初心に戻って教えてもらうとか、した方がいいんじゃないのか?
特に電機メーカー。
同じ説明が何カ所にもあり重複しているよね・・ かなり買収したみたいだけど、いくらかかったんだ?
戦時下でも、工事してたのはすごいね・・ それこそ、疎開した方が早い様な・・
修復年代 広範囲にあるだけに、短期間では終わらないんだろうね・・
今度は排水。
ここまでは、洪水から守ることが目的だったけど、排水は輪中、堤防の中に入ってしまった水を、外に出す事。
ねこちゃ村も川に囲まれているけど、大きな水害もないし、排水場って見た事が無い。
あるのかな?
一度水がたまったが最後とは・・ その苦肉の策が堀田だったのね
樋門に関するエピソード なんだか今の中国みたいな話だな・・ 4000人が襲ったって(汗
これがその樋門? 今は手抜きしてないよね?(汗
この辺りにはよくある、排水場の説明です。
いっぱいあるもんなんですね。
イザって言う時に、活躍してくれるんでしょうか。
現在の排水機場
排水機場MAP
排水機場の今昔
現在の排水機の能力
この排水機場のおかげで、危険なカーブになってて事故多発(汗 しかも2カ所も急カーブがあって特に夜間が危ない
このコーナー最後は、水防団。
消防団ならぬ、水防団か。
地元の人達が、働きながら嫌々、強制参加なんだろうか?
同情します(汗
"選ばれた"というのが微妙な表現だな・・ "強制参加"じゃないの?(汗
207名の犠牲者か・・ ますます住みたく無い土地だね(汗
管轄図 自分の担当エリアで被害発生したら、たまらんな・・