墨俣一夜城&お千代保稲荷'14 2014.12.17 Part2

DATA

 

展示室に入る前に、最初は売店を見る、、、っていうほど売店では無く、販売コーナーと言った方がいいか。

さっきチケットを購入した事務所?横に、ちょろっと売ってます。

 

ここで瓢箪を買うのか 小さいからか、そんなに高いわけじゃ無いけど・・

 

有名人も来ている!

 

皇太子も来ている! さげまん妃も一緒に・・(汗

 

ゆるキャラ? 初めて見たな・・(汗

 

■1F 郷土展示室 墨俣の歴史

城だけど史料館だから、色んな解説が・・

 

資料館系の観光地となると、写真が膨大となり、記事を作るのが大変・・。

前回も、それなりに多くて大変でしたし・・(汗

 

この辺りの魚と鳥 全国的に自然破壊されてるからね、、、人間、あんたらのことだよ!!(`Д´)

 

戦前、戦中なら、この辺りまで狐とかも居たのか・・ 今では山の中ですら居るかどうか・・

 

できるだけカットしていきたいけど、まさにカットされる候補の郷土資料館。

一応、写真は撮っていくけど、大幅カットだな(汗

 

ねこちゃ村にも居るヌートリア!! 猫より大きいでっかい鼠!!(汗

 

さらっと見て、次のフロアに行くつもりだったけど、予想外に楽しめました。

古代のことから、自然のこと。

ねこちゃ村とも比較的近いので、かつては居た狸や狐も、この墨俣に居たり。

山の方なら、まだ居るのかな?

 

これが狸! 殆ど生きてない状態で見る・・ ねこちゃ村でも見たこと有るけど10年に1度とかそんな程度・・

 

以前に行った、木曽三川の治水神社や海津の民俗資料館で見に行った、輪中のこともありました。

この辺りは水郷だから、洪水とか切っても切れない土地柄ですからね・・。

 

いつも思うけど、そんな危険なところなら、引っ越しして安全なところに住んだ方が早くないか?(汗

 

掘り抜き井戸って何だっけ? 悪水って何? 細かい説明が欲しい・・ 争いが好きだな、、人間は・・

 

このフロアで、最も興味を惹いたのが交通について。

私が子供の頃と思われる、古い写真があったりしたけど、子供の頃だから覚えてないな・・。

親の運転だったし、あちこち出かけるようなタイプでは、無かったですからね(汗

 

宿場町がいっぱい!! どれも無名に近い?

 

走ってる新幹線が古い! どうせなら0系がよかったな・・ 子供の頃、よくここまで新幹線を見に来てた!

 

高速道路だけど、どの辺りなんだろ? 羽島IC?

 

国道21 こちらもどの辺りか分からない・・ 県道77付近の気もする・・ 車の形が昭和だな(汗

 

昔の道、街道や宿場町も載ってました。

別に宿場町マニアじゃないし、それらについて調べているわけでも無いのに、最近重なりますね。

 

電車の駅みたいにいっぱいだ・・ 

 

宿場町跡なんていうと、少なくて貴重なのかなと思って観光してきたけど、意外にも沢山残ってて

たいして珍しいものでも、ないかもしれない。

だからツーリング、ドライブしてて遭遇する確率が高くて、重なるのかも?

 

昔は朝鮮人もマトモで仲が良かった? まさに朝鮮に侵略失敗した後なのに友好的な交流があったのに戦後70年現在の韓国は・・( ̄。 ̄;)

 

当時は、人口が1箇所に集中していて、町というよりも"宿場町"というような形を形成していたから分かりやすかったけど

今は山奥で無い限り、人があちこちに住んでいて、"町"という形が分かりにくくなっているだけ。

だから宿場町の様な塊が現在は無くなり、分散化しただけのことなのでしょうか?

もっとも、交通が発達して、泊まる必要性がかなり減ったから、"宿場町"というのが無くなったのかもしれませんが。

 

象さんが歩いて通った?! 図鑑も動物園も無い時代だから、大事だったんでしょうね モンスターが現れた?!

 

ダム以外でも消える場合ってあるのか・・ 地元の人でも知っている人は今となっては少ない?

 

今の宿と言えば、観光地にあるホテル、民宿などの宿泊施設と、仕事で利用するビジネスホテルぐらい?

少し前までは、観光地じゃ無くても宿はあったみたいですよね。

ねこちゃ村の商店街の中にも、宿が何軒かあったし、宿場町の名残じゃ無いけど、少し前の時代まで

割と普通に旅館、民宿は観光地以外に、普通の本屋さんみたいな感覚で点在していたのかも・・。

 

本陣! 宿場町だったから、あるのは当然か

 

最後は、墨俣の歴史があったけど、ここは本当にカット・・。

墨俣の人なら、楽しめるけど、それ以外の人にとっては全く関係ないでしょうからね(汗

 

文化財だけど、かなりマイナーで知ってる物が1つもない・・ 悪五郎ってすごい名前だな(汗

 

墨俣一夜城まわりでは、毎年桜祭りが行われる こちらは有名

 

懐かしい操法大会・・ 私もやったよ(汗 この頃って親の世代だね・・

 

■2F 墨俣 築城

一夜城の事が分かったのも、この武功夜話のおかげ

 

いよいよ本編の、一夜城についてです。

楽しみ!

 

悪名高き 織田信長 実は雑魚武将だった?!

 

それにしても建物の中だというのに、かなり寒い。

外の風が強いのか、風の音が鳴り止まないし、どこか開いているのか時折風が入ってくる・・。

、、、開いているところは無かったけど、窓に隙間があるのか、外の冷たい空気が絶えず入って来て、暖房はついているのに

ちっとも暖まらないから、寒いのかも・・(汗

 

 このフロアは築城に関して、この一夜城に関してのコーナーだけど、どこから見れば良いのか分からない。

戒壇から入って、右回りか左回りのどちらかなんだろうけど、順路が書かれてない。

困るな( ̄。 ̄;)

 

ここが本来の城跡場所 建物も違うし、場所も違う復元の城って(汗 これが悪評の原因か・・

 

史料館だけど、よくわからないから近くの物から、適当に撮っていくか・・。

壁には有名な武将が、紹介されてました。

このフロアを囲むように、沢山の人があったけど、スペース的なこともあるし、一夜城とは関係ない?ので

割愛するか・・。

 

木下藤吉郎 いっぱい名前があるな・・(汗

 

秀吉に関するマイナーエピソードも紹介 小六っていう人が左の人?

 

この岐阜、、美濃に縁のある武将も紹介されてました。

日本史に興味ないし、戦国時代の興味は無いから、地元といえど全く知りません。

せいぜい知ってるのは、斎藤道三程度。

他にも、色々と居たもんなんだな。

 

こちらはマイナー?な美濃の武将 斎藤道三、義龍ぐらいしか知らん・・ 信長の気分で所領没収って(;´Д`)

 

地元と言えば地元だけど、聞いたことのない名前ばかり 稲葉一鉄ぐらいか知ってるのは 時代だけに討ち死にばかり・・

 

あとからも色々と出てきたけど、一夜城を語る前に、その当時の情勢、人物、勢力関係を知ることが大事なんでしょうね。

その最初の説明を、どこからすればいいのか分かりにくいから、こういう史料館は難しいと思う。

掘り下げていくうちに、何の話しをしようとしてるんだっけ?ってなりそうだし( ̄▽ ̄;)

 

実はWi-Fiが使える?! 実際に使ってないから分からないけど、クソSBの有料Wi-Fiの事じゃ無いよね?( ̄。 ̄;) 有料のWi-Fi不要( ̄△ ̄)

 

この一夜城をどうやって作ったのか、全くの謎だったらしい。

それが近年、、、私が生まれた年にようやく、その資料が発見された。

その説明もありました。

とても大きな発見だったんでしょうね、地元の人、歴史好きにとっては。

 

休憩場所? 勿論、ここも飲食禁止だけど、陽が当たって一番暖かかった・・

 

古い民家の蔵から発見されたらしいけど、名家というか、当時の武将の子孫でしょう。

猫家は昔は資産家というか、広大な土地と財産を所有していたと聞くけど、うちにも蔵とかあったのかなあ?

子供の頃に住んでいた、旧ねこ邸は復興後に移り住んだ土地だから蔵とかはありません。

今で言う二世帯住宅のように、2つ家があって、車庫と倉庫があったぐらいですからね。

典型的な田舎の家。

 

元々、猫家が住んでいた場所になら、蔵とかそういうのがあったのかな?

もう100年以上前の話だし、全く聞いたことはありませんが・・。

1800年代の頃の、猫家ってどんなんだったんだろう?

 

話を元に戻して、この武功夜話が出てきたから、この史料館を作れた。

武功夜話を元に資料作りがされたわけで、かなり大きな発見だったんでしょうね。

武功夜話無くして、現在の一夜城はありえない!

 

城のコーナーなのに、やたらと秀吉、、、藤吉郎の話が多い。

藤吉郎が秀吉になるきっかけ、大きな出世の始まりとなった一夜城だから、切っても切れない関係。

必然と言えば、必然か。

 

貧しい村の村長の息子ってこと? 教科書訂正しろよ(*`Д´*)

 

せいぜい教科書で知る程度でしたが、藤吉郎が生まれた頃まで遡って紹介されてました。

たしか足軽の息子だったと思ったけど、実際は村長の息子だったんですね。

全然、違うじゃん(汗

 

藤吉郎と信長が出会ったのが、生駒屋敷というところらしい。

どんな屋敷で、何故色んな武将が集まったの?

詳しい説明が無くて、なんか頭が混乱・・(汗

 

謎の?生駒屋敷 お店とかそういう類いでも無いよね? 道場?

 

この生駒屋敷という所で、藤吉郎が秀吉へと出世する足がかりができたそうです。

信長以外にも、生涯、秀吉と関係する何人もの人物と出会い、生駒屋敷なくしては秀吉もなかったというぐらい。

とてもすごい屋敷ですよね。

 

その一人の小六 中々いい人だった様だ

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