祖父江善光寺&船頭平閘門公園 2015.1.27 Part5

DATA

 

■明治の閘門ゲート

これが最初に付いていた初代のゲート

 

バイクを停めた所からも見えた、真っ黒の大きな門。

これが明治時代に最初に使われていた閘門のゲート。

とても大きい。

 

下から見上げたゲート 大迫力!!

 

ちゃんとした説明もあり、読みながら写真を撮る。

閘門のゲートは4つあるけど、その1つを残したのかな?

 

解説 当時は60〜300隻も通ってた?! それが今では年間で500隻(汗 1日あたり1隻か2隻(汗

 

改修前と後の説明 明治から平成だと、かなり変わるんだろうね

 

今では、別のゲートに取り替えられているけど、大きさは同じだろうか。

水中に隠れてて、あまり大きく感じなかったけど、実際は、こんなに大きいゲートなんですね。

ぎぎぃ〜って、動くところを見たかったです(>_<)

 

表面のリベット 谷汲線の750、510形もリベットいっぱいあったな

 

ゲートの裏側

 

■デレーケの像

日本の近代化のために協力してくれたデレーケ

 

通路に戻り、広場へ向かう。

大きな木が多いなあ。

 

タイムカプセル? 掘り出したくなるよね( ̄∇ ̄|||)

 

芝生の広場

 

広場には、モニュメントというか像がありました。

昨年の治水神社ツーリングで見た、デレーケの像。

 

岐阜の恩人でもあるのかな?

 

この辺りは大きな川が多いこともあって、昔から水害に悩まされてきた。

江戸時代には、鹿児島県から平田靫負が来て、大改修をしてくれましたが、時代が時代だし技術的に完璧ではなかった・・。

明治に入り、オランダから技術者を招いて、より完璧に改修をしてもらったのが、デレーケというわけです。

 

伊勢湾台風の説明が、いきなりでてきた(汗 ねこちゃ村でも被害が出て、松茸が激減してしまったらしい(>_<)

 

ねこちゃ村は浸水しなかったけど、赤松が根こそぎやられたらしい それまでは椎茸並みに松茸が採れたとか

 

平田靫負とセットになるけど、全国的にはマイナーなのでしょうか?

岐阜に住んでいると、子供の頃に平田靫負の話は聞かされるから知ってるけど、デケーレは昨年知ったばかり・・。

岐阜に関係した偉人だから、ローカルな偉人になるのかな?

その後、日本の土木技術の基礎を築いてくれたそうだから、全国区の偉人でもいいと思うのですが。

 

これで3つ見たけど、残るは1つ。

木曽川文庫という資料館というか、図書館か。

 

資料館に行く前に、せっかくだから公園を散策しよう。

川に囲まれているだけあって、桟橋があってボートがいっぱい係留されてました。

このボートが、閘門を行き来してるのでしょうか。

 

誰でも簡単に利用できるわけでは、ないのか・・

 

係留されているボート 面倒な閘門を通って、上流に行くボートはどれだけあるんだろう?

 

■木曽川文庫

管理所であり図書館でもある

 

いよいよ最後の資料館です。

地味な観光地ばかりだったけど、結構、写真を撮ってしまった。

資料館なんか入ったら、えらいことになるんじゃないのか?(汗

 

2Fの案内図 1Fは事務所、2Fが図書室と資料館になっている

 

写真の量も心配だけど、珍しくデジカメのバッテリーが少なくなってきてる。

いつ切れても、おかしくない(汗

寒いから、消耗が激しいんだろうな・・。

 

なんとパンフレットもある! これだけ載せて、中を見ずに帰っても良かった?!(汗

 

入るかどうか悩んだけど、無料だしせっかくなので入ることにしました。

また後日、寄るほどのこともないだろうし、より完璧な観光にしたいですし。

 

エントランスにある展示物 ゲート開閉するハンドル

 

今では自動化されたから、取り外されてしまった・・

 

受付で、資料館を見たいと申し込む。

名前と住所、電話番号を記入すると、どうぞと通されました。

少し面倒だ・・。

 

筏で閘門通過 自ら体験できたとは羨ましいな・・

 

資料館は2Fにあり、中に入ると暖房がきいてて体が温まる。

来て良かったな( ̄∇ ̄|||)

 

2Fの文庫入口 なんで"文庫"なんだろ?

 

資料館というか、図書館かなあ。

資料館の方は、デレーケ、木曽三川の治水の資料がいくつか展示されてました。

 

デレーケ縁の品々

 

実物も展示 左側のレンズは何故無いんだろ? 喧嘩で壊れた? 転んで壊れた?

 

これがデレーケが実施した工事計画

 

あまり資料も多くないし、そんなに心配することは無かったか。

狭い、小さいこともあって、誰も居ません。

メジャーなところでもないしね。

 

ビデオコーナー?! 昔懐かしいSonyのトリニトロン

 

現場人間だからこそ、当時格下だった日本にも真摯に教えてくれたのだろうか

 

今では信じられないね 近代化のために外国から指導してもらうなんて

 

主にデレーケに関する事柄が中心。

デレーケ資料館という名前でも、いいんじゃないの?

日本のために尽くしてくれた、デレーケに敬意を払う意味でも。

 

日本のあちこちに行ったんだろうね 日本の水理土木工事に終始関与したってのも凄いね それだけ日本のためにやってくれたんだ

 

木曽三川については、話の流れ的に宝暦治水が出てくる・・ 平田靫負の立場は・・(汗

 

明治に近代工事を実施した結果

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