祖父江善光寺&船頭平閘門公園 2015.1.27 Part6
■DATA
それにしても、他の人達は、とっとと?国に帰ってしまったのに、デレーケは残ってくれたんでしょうね?
今と違って、帰ろうと思っても故郷に直ぐに帰れるわけでもないし、安全も保証されたものでは無い。
家族を置いて、日本に滞在していたのでしょうか?
私自身が、家族を置いての出張オンリー生活なので、気になりますね(汗
年表 月給300円?! 私が1時間立っているより安い?!( ̄∇ ̄|||)
沢山の勲章ももらって、功績を称えられているね
デレーケと縁のある場所 全部行ったことがある!
ケレップ水制と木曽川だけか、行ったこと無いのは
どうして治水関係が、オランダが担当するのかも書かれていました。
オランダの地形が、海抜0m地帯が多くて、水との戦いが昔からあった。
そのために必然的に、そういった技術が高くなっていったんでしょうね。
なんと国土の60%が海抜0m! 津波来たら、全滅?!
50kmのダム!! 日本のダムマニアが羨ましがるのは間違いない!
さっきのデレーケの眼鏡同様に、実物展示も少しだけどありました。
貴重な物?
工事で使った図面が、えらい巨大だけど、実際に現場で使ったのでしょうか?
少しでも強い風が吹いたら、とんでもないことになりそう( ̄∇ ̄|||)
流速計 オランダのものではなく、ドイツ製 オラのじゃなくて、ドイツのだ?(汗
工事設計書 24年間の割に、そんなに分厚くない? 一部なのかな?
一番でっかい、木曽三川改修計画図 よくクシャクシャになったりしなかったなあ・・
あとは、オマケ程度に宝暦治水の事も書かれていました。
岐阜のために、まさに命をかけて工事に取り組んでくれた平田靫負が、可哀想になる・・。
徳川のせいで、洪水が増えたのに、その尻ぬぐいを薩摩藩に押しつけたわけですから。
沢山の人が犠牲になったし、平田靫負自身も責任?をとって切腹。
反対側は宝暦治水コーナー
平田靫負
辞世の句を残し、故郷に戻ること無く岐阜で生涯を閉じる・・
それなのに、技術的に未熟で不完全だったから、デケーレ達を呼んで近代工事で、やっとマトモになった、、、みたいな
流れに感じも無くない・・(汗
薩摩義士に縁のあるお寺
半分は図書館になってて、無人かと思ったらおじいさんが居てビックリ。
悲鳴をあげるところでしたよ(汗
図書館 右側の死角に、おじいさんが隠れて?いる・・
大きな川のそばだから、災害がいっぱい なんで、こんな危険なところに住みたがるのか聞きたいね( ̄。 ̄;)
面白そうな本はなく、川に関する本、岐阜の市町村に関する本がありました。
なんと、ねこちゃ村の歴史本があり、ほかの市町村に比べて一番厚みがありました。
すごい!
市町村の歴史書 本屋さんにも売っている物なのだろうか?
ダムに関する本も ダムマニアなら大満足?
せっかくなので、分厚い本を開いて見てみたけど、自分の住んでいる町の歴史を見るのは面白い。
昭和56年に編集した古い資料だけど、その分、懐かしさもある。
知っている所もあれば、知らないところもある。
ゆっくり見てみたかったけど、時間が無いし、分厚すぎて読みにくい・・(汗
この図書館にある本のジャンル
体も温まったから、そろそろ出るか。
ああ、出たくない(>_<)
閘門の模型! ボタンを押せば解説が聞けたけど、おじいさんが居たから遠慮して聞けなかったよ・・(汗
閘門に関する説明も
意外と難工事だったらしい
■帰り
観光は終わり、あとは帰るだけ。
帰りは国道258からでいいか。
前の仕事の時に使ってた堤防道路の方が早く帰れるけど、この季節は寒すぎて使いたくないし・・。
愛知県から岐阜県に入り、橋を渡って三重県へ。
今回も3県またがったよ!
国道258を北上して、また岐阜に戻る・・。
明日には、愛知県、静岡県とまた岐阜を離れますが・・(汗
前回の帰りは雪というか、冷たい雨に降られて悲惨だったけど、今回は寒いだけで普通に帰れました。
次回のツーリングは、200回目の記念ツーリングだけど、目的地が思い浮かびません。
頭が痛い(>_<)