小谷城跡 2015.3.26 Part3

DATA

■金吾丸

人が居る!!Σ( ̄□ ̄;)

 

休憩を終えて、再び山道へ。

ここからも上りが続き、疲労が溜まる。

 

さっきと同じ様な上り坂・・ まだ2kmもあるの?!(;´д`)

 

分岐 案内も無いし分からない(-_-メ) どちらからも番所に行けるみたい とりあえず右の方へ

 

少し上ると、開けた場所があり、棒?が立っているのが見えました。

次のポイントか?

 

金吾丸跡

 

ここは金吾丸というところらしいけど、解説が全く無い。

櫓とか、砦的なものでも、無かったのでしょうか?(汗

 

小谷城跡では珍しいベンチ 少し腐れかけ・・(汗

 

まわりの写真を撮ってると、人がやって来た!!

若い男性2人組。

こんな何も無い所に、何しに来たんだろう?

 

唯一有った解説 私が布陣したら、猫丸跡?!

 

コンデジを持ってて、色々と撮ってる様でした。

観光には違いないだろうけど、歴史マニアの匂いがしたね( ̄∇ ̄|||)

よし、後を着けよう!

 

今までは一人出歩いてたけど、人の後をつければ心強い。

何か有っても、助けてもらったり協力してくれるでしょうし。

、、、若い子だと、アテになんないかなあ・・?(汗

 

■番所跡

相変わらず何も無くて、他と変わらない番所跡

 

やっと辿り着いた番所跡。

今までいくつか見て来ましたが、城跡のスタート地点、入口なのが番所跡。

再びスタートというか、やっとスタート地点に立てたのか(汗

 

入口の案内図 やっとここから城跡だ・・

 

各距離 大嶽城というところまで、行きたいけど・・

 

道路は、この番所跡前まで伸びていて、車、バイクでここまで来れる。

しかし、駐車場が見当たりません。

どうなっているんだろう?

もっと手前に、駐車場があるのでしょうか?

 

ここは駐車禁止 それならどこに停めるの?

 

ここからは、さらに危険が増す・・

 

まずは番所跡へ進む。

ここも何も残っては居ないけど、説明とともに想像図が描かれている。

あまり広い場所ではないけど、こんな感じになっていたのか。

 

本丸までは400m 大嶽城までは1.1km

 

城にやって来る人をチェックしたりする、門番的なところだったのでしょうか?

普段はともかく、最後の戦いのときはチェックも何も、一気に突破されてしまったのでしょうか?

 

解説

 

番所の図 小さい小屋がある程度か

 

また上り坂を上る。

本丸まで400mらしいから、もうしばらく続くんでしょうね。

ああ、しんどい(>_<)

 

遠くに見える伊吹山 ここから撮ったかは分からないけど(汗

 

段々上って行くわけだから、下の景色も迫力のある物に変わって来る。

東には伊吹山が見えたけど、西側には琵琶湖、竹生島が見える。

中々いいですね!

 

信長が陣取っていた山 たいして高く無いし、こちらから丸見え

 

写真を撮っていると、また別の男性が。

どうやらさっきの2人組と一緒に来ているようで、家族みたい。

息子二人、父、爺の4人か。

女性が一人も居ないのは、登山が嫌で拒否られたか、上るのが嫌で下で待っているからか。

春休みだなあ。

 

昨年、上陸した竹生島 また行ってみたいな・・

 

■御茶屋跡

唯一の売店跡? せめて自販機ぐらい置いてくれてもいいのに・・

 

小休止しながら、下で買って来たお茶を飲んできましたが、お城にもお茶屋さんが有った様です。

お茶屋さん跡。

 

図 全体図が載ってて、御茶屋さんは最下段で狭い

 

しかし、解説を読む限り、お店は名ばかりで、お店ではないみたい。

紛らわしいなあ・・。

なんで、御茶屋跡なんだろ?

 

軍事施設? レーダーとかあったの?

 

カモシカとクマを見間違える人なんて居るの? 猫と犬、猿と人間ぐらいの違いがあるよ(汗

 

少し進むと、池が見えて来ました。

ここは、馬を洗っていた所で、当時のままの物らしい。

石垣はよく残っているけど、それ以外の物が残っているのは珍しいですよね。

 

水が濁って、不思議と血の色に・・(>_<)

 

当時は、山の上なのに水がいっぱいだったとか

 

馬って言うと、平地をパカパカ走っているイメージだけど、こんな山の中の山城でも馬に乗ってたのでしょうか?

障害物多いし、デコボコで足場悪くて、上り下りが激しい。

屋敷と屋敷の移動用なんでしょうか?

 

■御馬屋跡

他同様、何も無い・・ 他と違うのは、やたらと切り株が多かったぐらいか

 

池から少し下った下側に、その馬を管理していたと思われる、御馬屋跡が。

ちゃんとした資料が少ないのか、馬小屋等があったかどうかは、分からないみたい。

500年近く前の話しだし、お家断絶してるところだから、分からない事だらけなんでしょうね。

 

お茶屋さん同様に、名前と実際のものは違うのか? 敵を欺くために、こんな名前にした?

 

だだっ広くはなっているけど、切り株がやたらと多い。

ここ意外の所でも、当時は建物がいくつか有ったりしたハズなのに、木がいっぱい生えてて

全く当時の面影を感じさせません。

 

馬らしいことが、何も書かれていない・・

 

城跡だと言われなかったら、ただの山の中としか思わないですよね。

こういう場所が残っているのは、城跡だと分かるのは、昔からの伝承なのか資料に基づくものなのか。

発掘してみたら、何の変哲も無い所が"遺跡"になるかもしれないのはロマンあるかも?

 

点在する切り株 なんで、途中で切るのをやめた様な形してるの? 呪いとか?(汗

 

再び進みだすと、大きな岩が通路にありました。

これは、ひょっとして・・。

 

地図の中で一番気になっていた、首据石。

多分、その名のごとく、敵将の首を刎ねて、生首を飾っておいた石なんだろう。

この岩がそうなのか(汗

 

見かけは、ただの大きな岩だけど、その昔生首が置かれていた・・

 

敵将の首かと思ったら、仲間の首だったんですね。

敵と内通していた裏切り者だったらしいから、殺されたときはよっぽどだったんでしょう・・。

落城した後、その首はどうなったんでしょうね?

放置?!(;´д`)

 

裏切り者は斬首して、さらし首!!

 

分岐があり、右に下ると赤尾屋敷へ 戻る時に上るのが嫌だったので断念した・・

 

解説だけ・・ 長政自刃の地ということで、行ってみたかったけどね

 

■黒金門跡

階段があるから、ここに門があった?

 

段々、本丸へ近づきます。

本丸の入口に当たる門でしょうか。

 

防御力を高めるために、鉄を使った? 結局は、無意味だった様だけど・・

 

辺りには何も残っていないから、門跡と書かれていてもどこなのか分からない。

よーくみたら階段があるし、ここにあったのかな?

 

■桜馬場

桜の木も多い桜馬場

 

門の下側には、また広くなっている所があり、桜馬場と言うらしい。

広いし、馬パカパカしていた?

 

馬の事は書かれていない・・

 

解説を読んでも、難しい言葉が多いというか、知らない単語が多くてチンプンカンプン。

わかんないなあ(汗

 

一番高い位置にあり、物見櫓まであって監視、偵察はばっちり!

 

織田信長は、反対側の小山に陣取ったらしいけど、それを見張ってた場所だとか。

ここじゃなくても、来る途中に眺めの良い所が有って、小山がよく見えました。

信長勢の動きは分かるけど、敵が大群で自軍の陣地に攻めて来るのが見えたら、発狂しそう・・(汗

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