大垣城 2017.1.25 Part3

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それでは、一度大垣城を離れ、商店街の方へ行ってみます。

懐かしさは有るかな?

 

仲間にゃ! 一瞬、マミが出てきたかと思ったよ(汗

 

この辺りは、お城に因んだ名前の店が多そうだ

 

古いコンクリートの建物が並ぶ・・

 

ロクな物が無かったら、この部分は記事には載せないつもりでしたが、ロクなことはあったので記事にする事にしました。

懐かしさ、、、とは別のノスタルジーみたいなものを感じましたよ。

 

公民館? 自治会の建物らしい

 

賑やかである筈の市内。

ところが、表通りから一歩奥に入っただけなのに、ものすごく寂れている。

シャッター通りではあるけど、ものすごく寂れた雰囲気が溢れ出てる感じ。

 

廃墟に近い雰囲気 ゴーストタウン、、、大垣(;´д`)

 

古いコンクリートの建物が目立ち、私が子供の頃に見た建物群かなと思いました。

あの頃はバブルだったのかもしれないけど、それがはじけて衰退が始まる・・。

その間、テナントは入れ代わり立ち代わりだったかもしれないけど、2000年に入りさらに不景気に。

そこでとどめを受けて、完全にシャッター通りになったのでしょうか・・。

 

誰か住んで居るというか、今でも利用されているのだろうか・・

 

この昭和の名残を感じる雰囲気・・。

とてもいいものを感じる。

カメラマンとしては、撮りたい衝動に駆られる・・。

 

狭い路地に入ると、これまたすごい。

元々、田舎で生まれ育ち、野山を駆け巡ってた猫。

こういった人間の街自体が珍しい訳ですが、裏路地なんて田舎には無いし、かなり珍しい。

 

シャッターが閉まり、何故か大量のペットボトル 猫除け?( ̄◇ ̄;) 猫どころか人間も来ないじゃないか( ̄m ̄*)

 

"お城街"というらしい 落城気味というより、落城後なのだろうか・・

 

まだ免許を取る前は、電車も有ったから岐阜市に出かけて、柳ケ瀬を探検?したりしてたけど、同じ市内でも違う雰囲気が有る。

、、、もっとも、柳ケ瀬も美川憲一のおかげで、全国区のメジャーな街にはなったけど、今では廃墟の代名詞だから同じかもしれませんが・・。

 

この通りは明るいけど、お店は暗い・・ 夜に営業なんだろうか?

 

大垣市は分からないけど、岐阜市の衰退振りはすごかった。

昔は電車があったから行く人も多かったけど、車が普及してからは駐車場がないし、郊外にも店ができ始めたから衰退が始まった。

映画を見るには、岐阜市に行くしかなかったり、電気製品やらカメラ、時計も岐阜市までいかないと買えなかった感じ。

なので日常品はともかく、本格的?な買い物をするなら岐阜市や大垣市に行く必要が有り、電車で行ったり有料駐車場に停めて

買い物をしているのが、普通だったんですよ。

 

太陽が出たり隠れたりで、明るくなったり暗くなったりで苦労した(>_<)

 

その当時は、大垣も繁栄してたんだろうなあ・・。

全くもって覚えていないけど・・。

 

壊れたネオン この寿司屋さんは、営業しているのだろうか・・

 

子供の頃、大垣は治安が悪いイメージが強かったよなあ・・。

民度が低いというか、大垣=クソガキと思ってた程。

それもあって、大垣よりも岐阜市に行ってたし、名鉄は岐阜市に繋がって行きやすかったこともある。

大垣にも電車で行けなくは無いけど、遠く離れた揖斐迄行って近鉄に乗るしかなかったですからね。

その近鉄も撤退して、第三セクターとして赤字運営している様ですが・・。

 

せっかくなので、賑やかな通りもちょっと見てみる。

食べる所でも、あるかなと。

 

賑やかなメインストリート 、、こちらもシャッター(汗

 

そしたら、椎茸を売っているお店を発見!

焼き椎茸の商売を考えているので、仕入先を開拓中・・。

県内産の方が"地元"ってことで売れる可能性が上がるから、県内でないものかと。

 

椎茸の予約! 仕入れでは無く予約?

 

今の所、県外の業者さんから仕入れる予定だけど、あいにく小さいのしかない。

最大でも7cmぐらいだったかな。

 

なんと市内産!

 

ところが、ここにあるものは、それ以上にデカい。

かなりデカい。

これを仕入れれたら、売れるんじゃ無いのか?

値段が高くても。

 

でっかい椎茸! 直径8〜9cm! 普通のが4〜5cmだから倍!!

 

普通のスーパーだったら、店から買ってては小売価格で高いから、聞いても無駄だ。

だけど、この店は農場直営らしいから、ひょっとしたら卸価格に近い値段で仕入れられるかもしれません。

仕入れ交渉だ!

 

しかし、残念ながら駄目ぽい・・。

よくわからないけど、本業は染め物業で、副業で農業をやってる程度。

自分の所で売る分しか作っていないし、卸せるほどの量はないし、安定供給も難しいとか。

うーん、残念だ(>_<)

 

■激寒! 大垣城天守閣

いよいよ天守閣内へ!

 

寄り道?をしてしまいましたが、いよいよ天守閣攻略です。

ここからは有料ですが、なんと100円。

激安だ!

 

料金

 

国宝の時の大垣城 今とソックリ! 、、ただし外観に限る(汗

 

今迄外ばかりで寒かったけど、城内に入れば暖かいだろう。

ゆっくり見学して、体を温めるぞ!

 

天守閣の説明 焼失前の詳しい説明が無いんだよね 資料も消失?

 

屋根瓦と石垣 石垣は前回の金生山産! 化石で出来た石垣って大垣城ぐらい? 化石の城!

 

中に入り、チケットを買う。

100円のをくださいにゃ!

 

大垣城Map こんなにすごかった!  まさに城下町!

 

大垣城の説明 再び・・ どうして鹿、麋? びって何?(汗 どうせなら猫城にすればいいのに・・

 

ところが、共通券を勧められる。

よくあることですが。

 

ごちゃごちゃしてるチケット売り場 売店も兼ねている

 

いつもなら断る所ですが、共通券と言っても50円高くなるだけで、もう1館見られる・・。

来た時に見た郷土資料館。

50円か・・。

 

でも今日は城の見学だけで、終わるだろう。

時間的に余っても、資料の写真をいっぱい撮るから、郷土資料館迄撮る余裕は有りません。

日にち跨いだら、駄目ですよね?

 

ところが、かなり気前良くて、期間関係なく使えますよと。

安い上に期限無し?

こんなの初めてだ!

 

共通入館券 郷土館の方は、まだ未使用!(汗

 

大垣市内の古い、昭和ちっくな街並・・。

それもまたゆっくりと撮りたいし、また来るかも知れない・・。

共通券を買ってしまいました(汗

 

パンフレット

 

■1F ビデオルーム

せっかく沢山のテレビが有るのに、利用する人が殆ど居なかった(汗

 

フロア案内が無いため、1Fが何の展示室か分かりません。

1Fのみ、複雑な?形をしているし、余計に分からない(汗

 

建物内は、暖かいだろうと期待したのですが、窓が閉められて暖房も入っている筈なのにやたらと寒い。

広過ぎて暖房が、行き渡らないのでしょうか?

見た感じ、そんなに広い様にも見えませんが・・。

 

最初に見たのは、シアタールームというかビデオルーム。

液晶テレビにDVDプレーヤーがセットになっていて、関ヶ原の合戦についてのビデオが見られる。

面白い事に、西軍から見た関ヶ原、東軍から見た関ヶ原の戦い。

西軍から見るぞ!

 

DVD関ヶ原!! 妖怪家康を討て!! それにしても、家康って悪役にピッタリ! 独裁者だしね!(`Д´#)

 

関ヶ原の戦いの概要は知っているけど、歴史マニアでもないし、詳細は知りません。

復習がてらにもなるし、大垣城を見学する上でいいよね。

 

コンテンツ

 

収録時間 長かった・・(汗 1時間は見た計算か・・ 関ヶ原の一日は共通部分も多いしね

 

DVDということもあって低画質で、画像自体が汚いのも有るけど、かなり昔に製作したのか低予算なのか

戦いがCGで再現されている物の、ふた昔程前の品質の悪いCG。

それらの静止画像を、視点を変えるだけで動きが有る様に表現手居るから、さらに見にくい。

入場料も安いし、仕方が無いか(汗

 

まずは西軍の石田三成から見たけど、負ける事が分かっている分、最初から悲観的な見方になってしまう・・。

しかも関ヶ原の戦いは、1日もかからなかった短い戦いで有名。

天下の分け目の戦いなのに・・。

 

最初は、この大垣城で戦う予定だったのが、城攻めを避けたい家康が、石田三成の本拠、佐和山城を攻めるフリして行軍。

佐和山城を落とされると、大阪迄行かれてしまう為、泣く泣く大垣城を出て関ヶ原へ行く石田三成。

この時点で、野戦の得意な東軍側に勝利は、決まっていたのでしょうか?

 

深夜に出発した石田三成。

嘘か本当か分からないけど、精神的なストレスでお腹の調子が悪かった石田三成。

やたらとウンコをするシーンが、多かったです(汗

 

関ヶ原に入り、それぞれの陣形を展開。

関ヶ原というのは盆地になっているらしく、関ヶ原に入り込んだ東軍を四方から囲み、出口の街道を封鎖すれば一網打尽にできる。

そのため戦場を関ヶ原に、したそうです。

 

両軍、展開! 家康だけ、すぐ逃げれる様に遥か後方 度胸も無い!

 

数的には西軍の方が4000人程多い。

それぞれ8万人規模の軍で、両軍合わせて20万人近くが集まった関ヶ原。

ひとつの小隊が、ねこちゃ村の全人口に匹敵している訳で、すごい光景だったんでしょうね。

 

ただ、西軍の場合は、数が多いのは毛利、小早川の小隊。

この2隊は力が強く、西軍の要になっていたわけですが、こいつらが裏切ったために負けたのは有名な話。

、、、本来は有利だった、西軍が勝てる可能性は十二分にあったのでしょうか?

 

最初は有利に戦っていた、西軍の石田三成。

ビデオでは、笹尾山の石田三成本陣から見る、戦場の様子をやってたけど比較的余裕が有る感じ。

 

いよいよ戦闘開始! 

 

笹尾山の石田三成本陣跡は、ツーリングでかなり前に観光した所。

そこを思い浮かべてしまいますね。

今では馬房柵しか復元されていなくて、激しい戦いが有った様には思えませんが。

 

笹尾山 鉄砲隊、大砲を使って撃退する!

 

8時に開戦し、1時間ごとに過ぎて行く・・。

押されつつも、総攻撃のタイミングを計る石田三成。

 

戦いの風景 左上が石田三成本陣 

 

戦というのは情報戦でもあるわけだけど、情報係から入る情報、各小隊間の連絡役から入る情報から戦況を判断しているわけですが

どうも毛利、小早川がおかしい・・。

疑心暗鬼になって行く、石田三成の様子を描写していました。

、、、裏切られて、しまうんだよなあ・・(;´д`)

 

倒れて行く兵士・・ それにしてもグラフィック悪いよな 前々リアルじゃない・・ 死体をリアルにすると苦情が来るから?(汗

 

石田三成は精神的に弱かったのか、不安が高まるにつれ腹痛が復活・・。

鎧を取るのが面倒だからと、そのまま脱糞・・。

ウンコ漏らした?!(;´д`)

史実なの?!

 

まだ西軍は不利じゃない

 

11時になると、家康が動き出した。

桃配山に本陣を置き、桃を配って遊んでいたけど暇になったのか、山から下りて来た家康。

 

家康が動いた!

 

後から見た東軍側の戦いでは、東軍の小隊が功を焦って作戦を無視して勝手に動いたそうです。

右翼側に居る筈なのに、石田三成の首欲しさに、いきなり正面に突っ込んだ。

そのため右翼側が不利になり、押されているけど、変わりに行く小隊が居ない。

家康直轄の兵はすでに、全部使ってしまったから、本陣を前に出してカバーするしかなくなったとか。

東軍も午前中迄は、大変だったのかな?

 

総攻撃の狼煙を上げる西軍

 

それを見た西軍は、一気に家康を打ち取れと、総攻撃の狼煙をあげる!

しかし、笹尾山の小早川は動かない・・。

小早川の小隊は、16000もの軍勢。

 

狼煙を上げず、防寒している小早川

 

小早川の小隊が東軍に襲いかかれば、家康も終わり。

それだけに、開戦前から密約を結んでいた家康だけど、もし密約が守られなければ東軍は負けるから、家康も気が気ではない。

小早川もそうだし、南宮山の毛利軍にしてもそうだったから、結果的には勝った家康も、勝負が喫する迄は緊張の極地。

 

毛利も動かず・・

 

個人的に感じたのは、小早川にしても毛利にしても、家康の密約を反古にしたとしても勝って家康の首を取ってしまえば

罰を食らう事も無い。

東軍に寝返った方が、メリットが出る様に密約してたのかな?

 

後からの説明で明らかになったけど、毛利軍と一言で言っても、色々な家がはいっていることもあり、全員が西軍というわけではなかった。

一応、西軍にはついたものの、石田三成の味方になるとは言ってない、、、といった感じで参加した物の動かない。

現場での実権を握ってた隊長が、東軍派だったのでしょうか。

そんなわけで、毛利軍は非協力的。

小早川に比べれば、動かない=中立的でマシだったのかもしれませんが。

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