大垣城 2017.1.25 Part5

行程表へ トップページへ 前のページへ 次のページへ

やがて、それぞれが敵対心むき出しになりだし、関ヶ原の戦いへ向かって行く。

戦いの前の説明が、それぞれの立場で書いてありました。

 

東軍の作戦 縦長過ぎて、字が小さくなってしまった(>_<)

 

ビデオでは分かりにくかった、西軍の敗因が興味深い。

西軍のまとまりがなかったのは分かったけど、ビデオには出てなかった敗因がいくつも書いてありました。

最初から、かなり不利というか裏切りが無くても、不安要素が多かったんだね(汗

 

西軍の敗因・・

 

東軍が集結する前に、岐阜と愛知の県境で迎え撃つつもりが、東軍に先に攻められ、岐阜城、清洲城を取られてしまった。

福島正則って知らないけど、こいつは悪いやつか(~_~;)

 

さらには情報戦の面でも、情報の収集基地だった福束城を簡単に落とされ、密書も奪われてしまった。

この当時は、色んなお城があったのかな?

全然知らない城だ・・。

 

東軍と西軍Map ブルーが西、ピンクが東 東軍の方が多い?

 

さらには、赤坂に集結した東軍を襲う話もあったけど、石田三成はこれを却下。

ここを攻撃していれば、大打撃を与えて裏切りにも影響を与えたのかも、しれない・・。

 

東海三県 岐阜は微妙に分かれている

 

中部と関東 それにしても、この地図、なんで斜めになってて見にくいの?( ̄◇ ̄;)

 

日本史として後世に調べられ、冷静に分析された結果かが、これらの資料なんでしょう。

振り返れば、、、後悔がいっぱいだったでしょうね、石田三成は・・。

本当なら、十分勝てる要素もあったのでしょうか。

逆に言えば、東軍の家康も負ける可能性も、普通にあったと。

 

それにしても、この展示というか説明が見にくい。

全ての説明が、極端な縦長で上の方が見えない、読めない。

展示の責任者、出てこい!(`Д´#)

 

バイク同様に、巨人なのが前提で作られたとしか思えません。

こんな展示をしている資料館は、そうそう無いというか、大垣城だけではないでしょうか?

何て書いてあるんだよ(~_~;)

 

軍の編成 まずは指令側 戦わず危険も無い楽な人 キャリア組?

 

実行部隊 ハイリスク、ローリターンの割に合わない・・ 

 

軍の説明、陣形の説明とか面白そうな物もあるのに、よく見えない(汗

この手の説明って、他の資料館では見た事無いな。

不思議と。

 

編成! どういう意味が有るんだろう? 槍部隊が極端に少ないね 混戦になったら意味ないしな・・

 

せっかく珍しい説明が有っても、やたらと細長い説明だから上の方が読めないし見えない。

図や写真ならまだしも、説明文もありますからね。

これは、非常に勿体ない・・。

 

他の陣形 運動会みたいだな・・(汗

 

一旦戻り、今度は部屋中央のショーケースの中。

定番の鎧セットがいくつか飾られていて、その間に説明が有りました。

 

兵の装備 騎馬武者になるには、試験とかあったのだろうか? 馬を使ってたから戦場は馬糞ですごかったらしい・・

 

鎧自体はあちこちで見て来ているし、特に珍しい物でもない。

兜のデザインが違うぐらいで、大差ないですしね。

 

甲冑の説明 機動力重視で肝心の防御力は低そうだ・・(;´д`)

 

それよりも、兵の装備品等の説明を優先的に見て行くか。

武具と違って、派手さはないけど。

 

当世具足の詳細 値段は、いくらぐらい? 刀ぐらいは効果有りそうだけど、槍、鉄砲はどうなんだろう?

 

1F最後のコーナーは、先ほど出てきた関ヶ原の戦いの前哨戦、杭瀬川の戦いコーナー。

でっかいジオラマが有るけど、これがすごい!

 

ジオラマに見入る人達

 

杭瀬川の戦いを記録した屏風があるそうで、それを元にジオラマ化したそうです。

いっぱい兵のフィギュアが有って、いかにも戦っている戦場の様子が分かりやすい。

動いたら、さらにすごいだろうな・・。

 

この人の数、フィギュアの数! 1つ1つ手作りで違う! これ作るのに大変だったろうね・・

 

ぐるりとまわりを撮っていると、次々と人がやって来る。

じーちゃん、ばーちゃんばかり・・。

服装を見ると、観光客というよりトレッキングやっているような風情。

そういったグループ?

 

杭瀬川の戦いの説明

 

カッコ付けて白馬に乗った家康 目立つけどいいのか?( ̄◇ ̄;)

 

一方の大垣城

 

ジオラマはショーケースで守られているから、写真が撮りにくい・・。

ケースに反射してしまうし、大きい分、撮れる場所も限られていますし。

勿体ない(>_<)

 

杭瀬川の戦いの発生理由 首実検って何?!(;´д`)

 

東軍の陣 家康はビビリだから、一番安全な中央に居る( ̄m ̄*)

 

杭瀬川の戦いの説明も有り、戦いが発生した背景、関ヶ原へ向かう理由が書いてありました。

前回観光した赤坂に、家康がやって来た!

赤坂なんて近所みたいなところだから、近所に家康が来たも同然。

もしその時に、ねこ家の先祖が、家康の首を取っていれば、日本は私の天下だったかもね( ̄ω ̄;)

 

杭瀬川の戦いの流れ 来る筈の無い家康がどうしてここに?!Σ( ̄□ ̄;) 稲刈りをすると挑発になるの?

 

家康は暢気に、昼食 家康も杭瀬川に出てくれば良かったのに・・

 

東軍の負けになったものの、家康は慌てる事も無く、暢気に昼ご飯を食べながら見ていたとか・・。

数万の軍を率いてる中で、たかだか1000人やそこらの小競り合い・・。

気にも留めてなかったのかな?

可哀想な西軍(>_<)

 

苦労して撮った一眼レフの写真 旗がいっぱい、どこかの陣だろうか?

 

騎馬隊登場!

 

日本史の教科書に、杭瀬川の戦いは、載っているのでしょうか?

よく覚えていないけど、載ってなかった気がする。

日本史は長いから、いちいち1つのできごとの詳細を説明しないし、せいぜい時代背景が少しある程度で

いつ、誰と誰が、どちらが勝って、どうなったか。

それぐらいしか、書いてないですからね。

勉強にならん( ̄◇ ̄;)

 

大垣城から見る戦場 城の中から見てる人が!

 

戦っている?!

 

■2F 城下町

2Fの様子 また細長い説明だ・・( ̄◇ ̄;)

 

やっとのことで、2Fに上がります。

1Fの内容、濃過ぎ!

ビデオが大きかったというか、長かったな・・。

 

城下町の成立 大火で焼け野原になったのを機に整備か 福島とか、どうしたんだろ?

 

今でも古来町、出来町の呼び名とか、あるのだろうか? 江戸中期ですら、ねこちゃ村の半分か

 

2Fは戦いから離れて、庶民的なコーナーになってました。

大垣の城下町、昔の大垣市にスポットを当てたコーナー。

 

展示物 この印籠が目に入らぬか!! 水戸黄門?!

 

遠眼鏡 覗きでも、していたのだろうか・・

 

面白いのは昔の大垣の人口。

昔なので統計データも怪しさ有りますが、最後の1860年ですら5500人程度。

ねこちゃ村の1/4!!

市なのに?!

 

大垣が町! 村じゃないのか、この人口数・・ 戦乱、病死で死亡率が極端に高かったのだろうか

 

この当時は、全国で人が少なくて、良かったんでしょうね。

戦乱の世だけど、人間が少なくて平和な世界。

我々猫は勿論、犬、狐、狸、兎がその辺に居て、山には熊やオオカミが生活していた事でしょう。

今では絶滅したり、人間によって大きな被害を受け続けていますが・・。

 

今は亡き宿場町 

 

その中で、軍勢が数万と言ったら、とてつもなくすごかったんでしょうね。

大垣で5500人程度なら、当時のねこちゃ村の人口は1000人とか2000人?

もっと自然も多くて、今よりもずっと不便だったろうし、人は少なかっただろうしね。

 

1万人が大きな人数である時代に、数万の軍勢って、1つの県、国単位の人数に匹敵しそう。

現代なら、数百万人の大軍勢?!

 

ショーケースには、よくある当時使われていた物の展示。

その辺に有った物を適当に集めた感じで、説明と関連ある物ではない。

生活用品ばかり。

 

展示物のお金! ポツンと置かれてて寂しい・・(汗

 

アクセサリー 

 

お歯黒・・ 歯を黒くして、何が面白かったのだろうか・・(;´д`)

 

一応、生活用品に関連してか、当時の人々の生活も紹介ありました。

武士偏と一般人偏に別れて。

 

武士の生活 暑かろうが寒かろうが、強制衣替えって・・( ̄◇ ̄;)

 

武士のイベント 元旦から出勤! 大垣祭って、祭りじゃないじゃん(汗 色々と決まりが有って窮屈そうだ

行程表へ トップページへ 前のページへ 次のページへ