菅浦の湖岸集落 2019.11.26 Part5
後から、ガイドさんも変わった所だったでしょうと言われてたけど、全くその通りですね。
派手な観光地ではないけど、来て損は無かったですよ。
GS? 灯油だけの販売かな?
この集落の中にも、見所が多数。
その中の1つが、実に変わっていますが、ヤンマーの家庭菜園ならぬ、家庭工場というもの。
今まで全国の離島や、色んな昔の集落を見て来たけど、家庭工場なんて初耳。
その時代に各地に有った物なのか、ヤンマーだけなのかは分かりませんが。
この先で見れた家庭工場も
中はこんな感じで、広く無い バイオハザードに出て来そう・・
説明に寄ると、全部で20軒。
今では数軒しか稼働してないから、建物も無くなっている所があるかもしれませんが。
暇つぶしに見ていこう。
最後の方に見つけた、ゴールの20番! トラクター頂戴!( ̄ω ̄;)
ヤンマーの家庭工場は、それぞれ共通した小屋になってるので、見れば一目で分かります。
稼働している所は、カーテンで中が隠され、機械の音か・・。
トラクターとか、中で作ってるの?
ヤンマーがどうしてあるのかも、不思議。
ヤンマーの創設者が、菅浦出身?
滋賀県出身の縁なんでしょうか?
たまに稼働していない小屋が有り、今は休みなだけなのか、中に機械があるのが見れました。
工業用機械!
部品とか、作ってるのかな?
■お寺巡り
何も無い所に、看板が・・
通りを抜けると、広くなったところに出ました。
案内板も出ているし、何かあった所?
氏寺跡 かなり大きなお寺だったようだが 蹴鞠って、いつの時代だ? 残せば良かったのにね
ここにお寺の跡があったみたい。
かつて、繁栄して来た時の物?
こちらにも何かある
天皇の菩提寺 長福寺跡 天皇のお寺も無くなってるのか・・(汗 伝説というだけで史実ではない?
説明はあちこちにあるものの、劣化が激しくて、読めなくなっている物も多数・・。
この看板は、そんなに古い物とは思えないんだけどね。
直さないのかなあ・・。
さらに、てくてくと適当に歩く。
地図とか持ってないけど、島の様に広大な所じゃないのが救い。
反対方向に、進めばいいだけ( ̄ω ̄;)
食事をできる店もあるようですが、外からはメニューが分からず、何が有るのかいくらなのか分かりません。
入るのに、かなりの度胸が要りそうだ(汗
数少ないお店の1つ いくらなんだろうか・・
お寺を発見したから、行って見よう。
阿弥陀寺というお寺。
あみだくじ?(汗
正面 このお寺は駐車場もある ミカン有るけど、食べていいのかな?( ̄ω ̄;)
でっかい看板 あみだくじ!(汗
やたらとまわりには、ミカンの木があり、採られない様にか檻に入ってました。
ミカンが特産物?
ミカンは南の方じゃないと、美味しく無いと聞くけど、この辺りはどうなのかな?
夏みかんの様に大きなミカン 穫ってくださいと言わんばかりだね・・
食べた跡が! 私じゃないにゃ!(;´д`) 美味しく無かったのか? 残っているが・・
特に何かあるわけでもなく、説明も無し。
普通のお寺か。
本堂
説明有るが、読めない・・ ミカン寺に改称しよう! ミカンのあるお寺( ̄ω ̄;)
続いて、その隣の安相寺。
こちらは、説明が有り、浅井長政の縁があるんだって!
浅井長政と言えば、小谷城。
鬼畜、信長に惨殺された事で有名・・。
石垣の上にあるお寺
浅井長政のお墓、、、ではなく石碑が
あくまで"伝説"なので、史実かは分からないらしいけど、小谷城落城の際に息子が、この菅浦に落ち延びたとか。
小谷城から徒歩だと、それなりの距離があるけど、信長軍の包囲を抜けて、ここまで来れる物なんでしょうか?
事実は、どうだったんでしょうね?
そして伝説へ・・
本堂 入れるわけでもなく・・
あとは特に、何も無し。
普通のお寺だね( ̄ω ̄;)
集落の中をずっと、歩いて来てるけど、雨戸がしまったままの家を良く見かけました。
、、、もう住んでない空き家?
かなりの人達が、菅浦を出て行ったのでしょうか?
良く見ると、ガスボンベが抜かれている・・ 住んでいないということか
ガイドさんの話だと、子供が全然居ないらしい。
高校生は、菅浦で一人とか、そんなもんなんだって。
少子高齢化も、ここに極まれり!(汗
当然ながら、小中学校は、この辺りで統合されてるんだとか。
普通の家に見えるけど、台風でもないのに雨戸が・・ こういった家が沢山有った
何だろう? 猫用戦車? ヤンマーと関係あるのだろうか?
■東の舟入り跡
駐車場みたいだけど、船入れたの?(汗
また少し広い所に出ました。
湖側の道路と合流したかな?
こには、東野舟入場と書かれていますが、どこがどうなのか全く分からず。
今では当時の面影も無いようで、全く分かりません。
うーむ。
後からガイドさんに聞いた話だと、元々は琵琶湖側の道は無く、湖だったらしいです。
洪水から集落を守っていた石垣があるのですが、そこまで湖が来てたみたい。
今は埋め立てて、湊を整備したから、かつての舟入場は道路の中・・。
それで、全く分からないのかな?
石垣の壁 昔はここまで水が来ていた?
説明も 若干、読みにくい・・
それでは、湖側に出て、ゴールの反対側の四足門へ向かうか。
なんか、崩れていて立ち入り禁止に、なっているところが・・。
壊れてる!
大穴が! 亀裂も激しい!
歩道の手すりが水没・・
何が有ったんだろうと思いましたが、ガイドさんの話だと、今年の台風で壊れたんだって!
風で手すりが崩落?
大雨で崩れた?
集落の東へ進む
琵琶湖側に出た!
■東の四足門
最初に見た西の四足門と、ほぼ同じ
ようやくゴールの四足門に到着。
西側と同じで、どうってことのない、小さな門ですが。
実は、この辺りは危険地帯! 家を建てるにしても知事の許可が必要・・ そら子供の世代は出てくよな(汗
湖へ入って行く階段 船乗り場、、、じゃないよね?
車が通れないから、今では道の外側・・。
当時は壁とか、あったのかな?
門だけあっても、外観が良く無いけど、結界的な意味合いが強いから、それでもいいのか。
横から見た四足門 柱の位置が内側なのは、倒れた時に安全な場所に落ちる様になんだって
こちらも新しい・・ 同時に改築か