桑名 六華苑 & 七里の渡し 2020.1.15 Part2

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しかも、せっかくりスリッパに履き替えたのに、ここではスリッパも禁止。

後ろ足が冷たい!(>_<)

風がないだけ、マシかな・・(汗

 

こちらは和館の長い通路

 

あちこちに注意書き 割愛したけど、至る所に全てに注意書きで辟易したほど・・

 

それでは、どこから見ようかな?

いくつか小部屋もあり、なぜかトイレがあちこちにありました。

 

トイレ 和館側

 

トイレの説明 こちらは洋館側の説明で、和館のトイレ説明はなかったなあ・・

 

トイレマニアではないですが、ここのトイレは興味深い。

当時としては、和式ばかりの俗に言う"ボットン"便所。

そんな時代に、様式のトイレがあり、しかも水洗トイレ。

大金持ちの象徴ですよ・・。

現代だったら、どんなトイレになるのか?

 

洋館側のトイレ さっきの和館とほぼ、隣同士

 

電気のスイッチ? 二つあると、おっぱいみたい・・(汗

 

トイレを一眼レフで撮るのは、私ぐらいか?(汗 なんかいい感じがしたから撮影

 

残念なことに、トイレは使用禁止は当然ですが、立ち入りも禁止。

オシャレなタイルの床になってるし、大昔のトイレだけど、いい雰囲気に感じますね。

今でも使えるのかな?

 

玄関前 本当は、こっちから入ってくる

 

トイレの隣には、電話室!

トトロもそうだけど、この時代は電話は村に1つとか、そんな時代か。

その電話のために、1部屋設計して作るとか、すごいね。

今や電話なんて、子供でも携帯してゲームしてるぐらいですから・・。

 

電話室 今は物置? 当時としては、どんな感じで使っていたのだろうか?

 

電話室と階段の説明 階段もあとで見てみよう

 

昔懐かしい?黒電話だけど、よく見る黒電話じゃないのが、六華苑。

なんかモダンで、これまたお洒落。

特注品?

 

これが電話? よくテレビで見るやつと違う! ロボットの顔じゃない!!

 

玄関ロビーには、六華苑の説明板がいくつかありました。

設計はイギリスのコンドルという人。

鳥さんでは、ないのか・・(汗

 

六華苑の説明 100年は越えている! 、、、って、旧ねこちゃ邸も築100年近くだったし、大正時代の建物は意外と丈夫だよね

 

六華苑Map コンドル設計の建物は、ほとんどが関東なのか・・ 金持ちは田舎には少ないしね・・

 

1900年代初頭、大正時代は日本には技術がなく、外国から人を呼んで技術を教えてもらっていた時代。

私の好きなヴォーリズ建築のヴォーリズ、灯台の設計のブラントンにしても、そういった時代の人たち。

そして、コンドルか。

こういった、時代の建物巡りしたいよなあ・・。

 

六華苑の元持ち主の説明

 

その前の家も立派で、新居も立派!!(汗 旧邸の方は非公開で一部の日しか見れないんだとか

 

当時の写真 4Fからの眺めもあるけど、モノクロのために分からない・・(汗 白い部分は空で揖斐川は下の少しだけの?

 

ただ、ヴォーリズの様に狭い範囲でも、たくさんの建物を作ってくれてれば回りやすいけど、日本全国飛び回ってた人となると

ツーリングでは無理。

一泊旅行で、今回はここ、次回はあっちと計画立てないと無理だろうね(>_<)

 

六華苑の変遷 かなり最近まで、非公開だった?

 

庭がなくなり、次次へと建物追加 金持ちやなあ・・ 一般的な家庭だと、リフォームぐらいで書くネタがないよね・・

 

空襲と六華苑 具体的に、どこが被害受けたのかわかりにくいな・・前と後の比較が欲しい

 

説明によると、この六華苑もコンドルの他の建物も、戦災で消失してしまってるとか・・。

鬼畜米英め!(`Д´#)

軍事施設ではなく、民間の施設を無差別に攻撃とか、まさに鬼畜。

非人道的ですよ(-_-メ)

 

玄関内側

 

使用人や他の人は利用できなかった玄関!! だから今も観光客は管理棟からしか入れない?

 

幸い、六華苑は一部が燃えただけで、建物自体は大丈夫だったようですが。

全部燃えたら、観光地がなくなる所だったよ・・。

 

玄関から見た所

 

戦後は使われてなかった? もったいないな・・

 

それでは、お気に入りのタワーの内部へ。

丸みのある部屋で、そんなに広くはないけど、応接室みたい。

 

応接室 部屋の形が円!

 

塔の内側 角がない分、余計に狭いから、実用性は低い?

 

照明のカバーも丸くなっててます。

丸みがあるデザインは好きなので、私向けですよ。

欲しいなあ(^_^;)

 

ここにも、上からの写真が! 現在のカラーのもあるけど、撮り方が悪いのか大した景色じゃないよなあ・・(汗

 

丸みのある窓、ガラスがとても魅力的。

現代でも、見たことないけど、当時としてはもっと珍しかったんでしょうね。

輸入らしいし。

 

ちなみに、この後偶然にガイドさんと会いましたが、廊下の普通の窓も外国製らしいです。

この当時は、日本にはガラスを作る技術も幼稚で、屋敷の窓となるとドイツ製などのガラスが大半。

今の様な平らな窓?ではなく、少し凸凹してるのが特徴なんですよね。

現代の方が技術は発達してるけど、この当時のガラスの作り方はロストテクノロジーしてて、わからないんだっけ?

 

玄関を横切り、今度はメインの大きな部屋へ。

こちらも客間です。

 

暖炉のある部屋! なぜか上には鏡が

 

鏡はアールヌーボーだから? ボジョレーヌーボーしか知らないなあ・・(汗

 

寒いけど、暖炉がありますね。

せっかくだから着ければいいけど、火災の危険もあるから、使わないか。

寒いから、何とかしてほしい(>_<)

 

暖炉 右にあるのはオマル?(汗 鉄製だし、燃えかすとかいれるやつかな?

 

アンティークテーブル 触っちゃだめだけど、普通に使えそう

 

室内には、当時使っていたと思われる調度品も多数あります。

古いテーブルとチェア。

1900年とか書いてあるから、100年も前!

ちゃんと使えるのかな?

 

100年前のソファ 座り心地は? 100年前の鳥さんの羽でも入ってるのかな?

 

全て外国製だけど、単に洋館に合わせて、当時の日本には洋風の家具がなかったから輸入したのか、外国製が良かったから輸入したのか

どっちだったのかな?

送料からしても、かなり高そう・・。

現代の金額で、いくらぐらいなんだろ?

 

隣の部屋は食堂。

ごはん食べたい!

 

食堂 ごぼさないように食べなきゃ、いけなかったんだろうな・・

 

当時の写真を見ると、テーブルは大きそうだね 今のは小さくて無駄な空きスペースが目立つ・・

 

南側にあるから、ここから庭園を見ながら食事をしたんでしょうね。

キッチンは無かったけど、どこで調理して、ここまで持ってきたのかな?

キッチンは戦災で燃えてなくなり、そのまま再建されず?(汗

 

ダイニングセット 6人かけれるけど、置けるお皿の数は限られそう・・

 

キッチンにも暖炉 薪は、どこに置いてたんだろ? 巻きの追加は自分でやってた? 使用人にやってもらった?

 

大きな屋敷だけど、ダイニングテーブルは六人がけ。

大家族では、無かったのかな?

お金持ちとなると、普通の家族の生活とは違うんだろうけど、どんな生活だったんだろう?

家族でみんな、一緒に食べないのかな?

 

照明と壁紙 いかにもって感じだね

 

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