桑名 六華苑 & 七里の渡し 2020.1.15 Part4

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書斎には、六華苑の主人、二代め静六の紹介が。

二代めだけど、静六って名前じゃないんだ(汗

 

二代目の説明 どうして名前の清吾を名乗らなかったんだろ?

 

18歳の学生で、いきなり事業引継ぎって、ありえんよな(汗 今の基準で考えるべきではない?

 

初代の本物の静六さん。

さっきも紹介あったけど、地元に貢献した偉い人。

 

こちらが本物の静六さん 借金からスタート!(;´д`)

 

静六さんも、18歳で家業を継ぐ! とはいえマイナだし、親の支援もなし!

 

最初から金持ちの家系というわけではなく、逆に親の借金からスタートとは驚きですね。

マイナススタートから、大金持ちになったとは、ホンモノですよ!

 

政財界との繋がり! どうやったら繋がれるのだろうか・・

 

実は、ねこ家も似た様な歴史がありました。

元々は現在の本巣市に住んでて、当時は大地主で本巣市の大半の土地を所有してたとか。

ひょっとしたら、モレラもうちの庭の一部だったかもね( ̄∇ ̄|||)

 

しかし、たいていどこでもある話ですが、財産があるとその息子が遊んで食い潰す・・。

遊びまくって、飲む打つ買うの極道三昧をして、モレラを含む全ての財産を売却。

そのバカの息子が、頑張って旧ねこ邸を買って、復活したそうですよ。

同じ明治の時代だと思うけど、こんな話は当時の日本、いっぱいあったんだろうな・・。

 

私も今、商売をしてますが、何とか成功して、ねこ家を再興したいですね。

しかし、何万、何十万円という大きな取引がある商売ならともかく、300円がメインの子供向けの商売では無理か(汗

 

それでは、あったかいサンルームへ。

陽が入る長い廊下と言った感じ。

洋風縁側と言った所でしょうか。

 

窓があるから、風が入らないのがいいね!

 

今でも、サンルームがある家は、限りなく少ないよねも やっと最近、雨でも洗濯物が干せるようにと猫の額ほどのがあるぐらい・・

 

諸戸家の人たちも、ここで寛いだりしたのかな?

ロッキングチェアもあるし。

 

 

ロッキングチェア これもホラーゲーム定番だね バイオ7にも出てきたし・・

 

ん? 触ると危険? あちこちに転落注意と書いてあったし、実はかなりボロくなってる?(汗

 

サンルームを通って、隣の居間へ。

タンスとクローゼットがあるけど、和洋折衷みたいなデザインで、時代を反映してそう。

襖風の戸もあるし。

 

居間

 

なんで、暖炉が高くなってるんだろ? どんな理由が?

 

無駄な空きスペースがあり、普通に撮るとつまらなくなるから、あえて天井を多めにしてバランスを取る・・ このテーブルを選定した人センスなし(-_-メ)

 

この部屋には、六華苑を作った建築家のコンドルの説明がありました。

日本政府、、、明治政府にお願いされて、日本に来てもらって西洋技術を日本に伝えに来てくれたのか。

そしてそのまま、日本に移住。

 

私が生まれる、丁度100年前に来日!

 

その後も、日本でいろいろな建築の設計をしてたんだとか。

建物はいっぱいあるけど、残念ながら大半は消失。

関東の方を中心に活動してたらしいから、 聖地巡りみたいなことはできないね(T_T)

 

現存する代表作 大きな建物ばかり!

 

日本人と結婚したけど、当時の西洋人からしたら、日本人と結婚するのは蛮族と結婚する様なものだったのかな?(汗

人種差別になってしまうけど、後進国の人と結婚って中々できないよね。

まあ、その国の中でも高水準の人だったんだろうけど。

 

コンドルのプライベート そのまま外国に骨を埋めるって、中々できないよ

 

コンドル年表 夫婦共に同時期に亡くなったのか(>_<)

 

実子はいないみたいだけど、日本に来て生まれたヘレンって子が分からないですね・・。

コンドルが女性だったら、日本に来て出産したのかなと思うけど、どこからヘレンは出てきたのか・・。

詳しく書いてない=不倫などで書けなかったのかなと、邪推してしまう(汗

まあ、外国に行ったり来たりだと、色々とありそうだもんなあ・・。

 

壁紙 このデザインも当時の100年前のものなんだろうか?

 

面白いのが、日本の文化に興味が深く、日本画も弟子入りしてまで学んだそうです。

それで、日本に定住することにしたのかな?

帰化したとかは書いてないけど、"日本人"には、ならなかったのかな?

 

コンドルと日本文化 外人が和装! 何でもできるタイプの人だったんだろうね

 

絵もうまい!

 

外国人で日本文化に興味をもって、日本人と結婚したといえば、階段で有名な小泉八雲、元の名をパトリック・ラフカディオ・ハーン。

島根県に旅行行った時に、悪名高き松江城の観光と一緒に、小泉八雲の家も観光しましたよ。

残念ながら、撮影禁止だったので何も残らなかったですが(T_T)

 

本も書いてた! 日本語? 元々趣味で絵を描いてたから、日本画も描けたんだね

 

日本の建築家を育てたのも、コンドルの業績の1つ。

その弟子たちも、その後は今も残る大きな建物の建築に携わり、また弟子を作って日本に建築技術を広めていったんでしょうね。

 

コンドルと教育 人に教えるのもうまかった?

 

弟子たち この人たちも今では日本建築の礎なんだろうね

 

奥に和室があったけど、立ち入り禁止。

和館の二階部分?

そうたいして、広くはなさそうですが、見られなくて残念・・。

 

和館の2階部分 1部屋程度しかない?

 

外から見た、和館の2F部分 1Fには階段なかったし、洋館経由でしか入れない?

 

それでは、撮り忘れがないか再チェックをしつつ、メインの六華苑を終えて、管理棟へ戻るか。

ずっと寒かったから、しばらくは管理棟で体を温めたいね(汗

 

管理棟の喫茶店部分?

 

メニューは2つのみ?

 

たまたまさっき出会ったガイドさんが寛いでて、呼び止めてくれました。

ねこさんや、そこの折り鶴は撮ったかね?

これは、桑名名物なんだよ。

 

桑名の千羽鶴 千羽もいないのに、なぜ千羽鶴? これはお土産用の商品

 

鶴が増えれば増えるほど、値段も増える・・ 人気はあるのだろうか?

 

最初は、ただの折り鶴だと思ってましたが、よくよく話を聞いたら驚きました。

全部、1枚の紙から折られてるんだって!

え〜!!

 

1枚の紙から作る! なので、よく見ると全ての鶴が繋がってる!

 

全部、1枚から!

 

一つの鶴ならともかく、いくつも鶴があるのもあります。

すごい、器用じゃないとできないんじゃないの?

何でも近くのお寺の、住職さんが昔に考えたんだとか。

 

超大作!! 訳がわからないぐらい、いっぱいある!

 

それでは、外に出て渡り廊下を歩いて、他の建物へ。

また寒い(>_<)

 

また外に出るのか・・(>_<)

 

渡り廊下を歩かないで?Σ( ̄□ ̄;) 何のための渡り廊下なんだ? トンチか?(汗

 

番蔵棟があるけど、結婚式の撮影に使ってる様で立ち入り禁止。

展示物があるわけでもないのか・・。

最初に見かけた女の人が、ここに居ました。

結婚式の撮影の人?

館内で何やってたんだろ?

 

蔵の内部 ん? 天井に空調らしきものが・・ 改造されてしまってる!(;´д`) 文化財は大切じゃないのか?

 

いわゆる、物置だよな( ̄∇ ̄|||)

 

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