鵜沼宿&苧ヶ瀬池 2020.1.21 Part2

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トイレを済まして、スッキリ。

旅籠に戻って、見学の続きです。

 

土間に、鉄門の説明が! こっちの方が読みやすい(汗

 

ここからは上に上がるので、ブーツを脱ぎ脱ぎ。

簡単に脱げないし、めんどくせー( ̄◇ ̄;)

 

町屋館の配置図 修復時のものなのか、前庭が今より綺麗・・(汗 パンフより

 

やっと主屋へ! この部屋は居間

 

電気配線もレトロ! 江戸時代には無かったものだけど、今から見ればこれも歴史資料( ̄∇ ̄|||) 旧ねこちゃ邸もこうだった!

 

部屋はいくつかありますが、順路があるので順番に見ていきます。

最初の部屋には、展示物が。

 

こんなところに武器が! 修復工事で屋根裏から発見したそうだ 悪質なクレーマーが来たら、これで懲らしめるとかじゃないのか(汗

 

帰りに発見した何かの台 テレビ? 神棚?

 

皇女さんが中山道に来た時の食事の紹介。

再現されたものだけど、当時としては最高級のものだったんでしょうね。

皇族相手に、変なもの食べさせたら、首をハネられそう(;´д`)

 

皇族は迷惑極まりないね 当時の16000人は今の10万人に匹敵か? 当時の鵜沼宿人口は246人 1万人集めようとしたら・・

 

食べた食事 えらい質素・・ お昼ってこともあるだろうけど少食だね 宮中では何を食べてたのか?

 

当時の資料 これを元に再現

 

今見ると、かなり質素というか味気ない食事に見えてしまいますね。

ステーキ、ハンバーグとかはないのか(^_^;)

 

人を集めるための図 鵜沼宿の人口は246人! 当時の日本人口はどれぐらい? 調べたら3000万人も! この程度で十分、もっと人間減らせ!(`Д´#)

 

電話もない時代に、どうやって予約? 予約のために現地訪問? 日帰りで帰れない場合は?(汗

 

個人的には、皇族の食事よりも、一般人向けの当時の食事を知りたい。

以前見た気賀関所でも、一般向けではなく、大名向けとか高級な料理の紹介だったと思うしね。

派手さにかけるから、庶民の食事は紹介せず、安易に高級な料理を紹介したがるのでしょうか?

 

帰りに買った資料に一般の旅人のページが! 買った甲斐があったね(^ω^)

 

往復で24万円!! しかし日数が30〜40日 日割りすると今より安いか 今なら宿泊代1万円+昼食代、交通費入れたら50万円オーバー?

 

ここで興味深かったのは、食い逃げ事件!

正確には食い逃げではなく、未払いですが・・。

 

尊王攘夷を取り締まれ! 浪人対策=幕府への反感を抑える効果も 今の日本も景気対策で皇族襲撃、廃止政策したらどうなんだ?(-_-メ)

 

新撰組が225人分のお金を払い、237人がご飯を食べたとか。

12人分のお金を払うことなく、そのまま京都へ・・。

食い逃げだ!(`Д´#)

 

割渡帳? 分配して、それぞれの店に渡すための記録簿か

 

時代が時代だけに、足りない料金を強く請求すると、切り捨て御免されかねないから言えなかったのでしょうか・・。

今なら、警察呼んで全員逮捕!

、、、足りない12人が逮捕?

 

次の部屋が、一番面白かったかも?

なぜか電気製品コーナー。

江戸時代に、電気製品あったの?(汗

 

広縁 江戸時代には無いけど、今の時代には無いものが!

 

何の説明もなく、冷蔵庫、テレビ、ミシン、スピーカー?が置かれてました。

郵便局時代、その後に使われてたのでしょうか?

ラベルには"寄贈"とも書いてありますが。

 

テレビとスピーカー 接続できた? この当時の電化製品は"脚"がついてるよね

 

テレビは懐かしい、ガチャガチャ式。

子供の頃、おじいさんの部屋のテレビが、こんな感じでしたよ。

同じ感じでも、末期の最後の方でしょうが。

 

昔懐かしい調整ダイヤル 水平映像、濃度、輝度かな? アナログ! 英語ばかりだけど外国製?

 

ステレオが、よくわかりませんね。

よくある蓄音機でもないし。

 

冷蔵庫 1ドア! 右上のボックスは冷凍庫ぽい

 

ステレオ単体で使うものなのか、蓄音機やプレーヤーと接続して使うのか?

せっかくあるんだし、時代や内容を書いて欲しいですね。

もったいない。

 

後から発見した、謎の部分 何だろう?

 

隣の部屋に移り、江戸時代に戻る。

宿場町の説明だけど、さっき見た説明と重複している?

 

座敷

 

鵜沼宿には、25軒もの旅籠があったとか。

こんな狭いエリアに、25軒の宿泊施設とは、今では考えられないですよね。

、、、って、海水浴場があるようなところなら、宿泊施設は普通に多いか(汗

 

鵜沼宿の説明 次の宿場町まで17kmが長丁場? 徒歩でも4時間ほどだけど 半日は歩きぽなしだろうし余裕ぽいけどね

 

皇女に続いて、中山道を通り鵜沼宿に泊まった有名人の紹介。

今度は、伊能忠敬!

日本地図を作るために、日本全国歩いてまわった人。

全工程徒歩!(;´д`)

 

ねぶか雑炊 どうせなら、当時の料理を再現したメニューを出したら、面白いと思うけど 店が今は1つしか無いもんな・・

 

宿の看板! 当時は看板屋さんあったのだろうか?

 

寺社詣組合公認宿! やはり加盟するには年間利用料取られた?

 

17人で測量してまわったらしいけど、一人も脱落せずに帰ってこれたのかな?

山歩きも沢山あるし、大きな川が行手を阻んでも、橋もなくて船があればいいけど、担がれて渡るところもあるんだっけ?

落っこちて流されても、おかしくなさそう・・(汗

 

偉い人たちへの食事 海のない岐阜では、海産物は高級だったろうね 小さいけど旅人の食事も! 唯一の記述!

 

他にも新政府軍の赤報隊というのが、鵜沼宿に泊まったらしいけど、味方であるはずの新政府軍に処刑されたそうです。

激動の江戸時代末期。

そういうことも、よくあったのかな?

 

赤穂浪士、、ではない(汗 税金半減を日本政府はしないのか! 打倒日本政府!(`Д´#)

 

高札 キリシタン禁止!

 

鵜沼宿の地図 この時代の地図は見にくいね 伊木山と言うと最悪だったマルシェを思い出してしまうね(汗

 

主な資料、展示物はこれでおしまい。

次の部屋は狭い部屋で、行灯と蝋燭立てがあるだけ。

当時のもの?

 

狭い仏間 元々は仏壇があったスペースか

 

このあと偶然、ボランティアガイドの方に話を聞いたのですが、当時の蝋燭は値段の高いもので高級品だったとか。

ロウの原料となる木が少なくて、大量生産できないからなんだって。

今は蝋燭は、クリスマスケーキに立てるぐらいしか使わないけど、大量に沢山売られてますが。

仏壇、お寺では今でもいっぱい使うかな。

 

展示物 灯りと屋根瓦

 

行灯 時代劇では提灯もってるけど、その前は行灯を持ち歩いてたのか

 

燭台 江戸時代は大火が多かったけど、これが大半の火元だったのかな?

 

奥の部屋は何もないわけではないですが、綺麗な衝立とタンスがありました。

電気製品同様に、何も説明もなく、置いてあるだけですが。

 

床の間 ここで寝てた?

 

衝立のミニ襖 ちゃんと開く! 反対側を見たくなったら開けたのかな?

 

普通、展示物には触らないでと書いてありますが、ここでは"ガラスに触らないで"しかないので、展示物は触ってもOK、、多分(汗

タンスも実際に触ることができ、引き出しを開けてみました。

中身は空だけど、今でも普通に使えそう

六華苑のアンティーク家具よりは、新しいのかな?

 

古いタンス! やたらと引き出しがいっぱい! 中央の丸いのは飾り?

 

引き出し内 何か書いてある! 後から書いたのか、何かを再利用したものなのか

 

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