鯖街道ミュージアム・小浜町並み 2020.6.4 Part2
展示物も無いに等しいし、熊川宿の資料館で十分事足りてるね。
そのかわり、ここのガイドさんがとてもいい人で、いろんな話を聞かせてもらえて、とても面白かったです。
思わぬ収穫!(^ω^)
禁断の冬 雪が降り出したら、もう行けないね・・
イベント案内 前回の熊川宿で見てきた、お祭りか
色んなのがある とはいえ、お祭りなんて日本各地どこでもいくらでもあるし、珍しいものでもないよなあ・・(汗
新型コロナ対策で、名前を書かされました。
マスク持ってないし、猫でてけと追い出されないか怖かったけど、私一人しかいないしそんなこともなく、色々と聞いてみたわけですよ。
貴重な古い絵 小浜湊の北前船船主 1850年のもの
こちらも同じく北前船船主 1846年 両方ともレプリカで元は絵馬?みたい
このガイドさんは、古い町並みの方のガイドもされてて、日替わりで変わるそうです。
なので、いつもこの方がここにいるわけではなく、別のガイドさんの日も。
ガイドさんによって、当たり外れ激しいから、これはラッキーだね(^ω^)
小皿? 輸入品なのか made in china(汗
昔のいづみ町商店街! 末期なんだろうか?
"長年親しまれてきました" 過去形なのは、かなり前から取り壊し予定だったってことか・・
鯖街道資料館で謎だったことも、聞いてみましたよ。
鯖って高い値段で売れたの?儲かったの?
サバは大衆魚だったし、小浜では安い魚。
しかし、京都は海がないから魚が貴重。
京都はお金持ちが多いから、向こうでは高く売れるから、みんな売りに行ったそうです。
いづみ町商店街で使ってた帳簿? 旧名の和泉町と買いてあるし
この当時が、最盛期だったんだろうね・・ 陸路が発達するまでは・・
サバを塩漬けにして持って行ったけど、この後に見に行く予定の塩田跡の遺跡の塩でやってたのか聞いたら、それは全く違うそうです。
あの塩の遺跡は、平安時代ぐらいのもので、鯖街道とは無関係!(汗
、、、まあ、街道を通って製塩した塩を京都まで持って行ったから、完全に無関係というわけではないですが・・。
中央の展示ケース 反射しまくりで見にくかった(汗
針畑超えの説明 鯖街道はいくつかあったのに、このルートの説明ばかりだ(汗
今では、すっかりと寂れてしまった集落か・・(汗 通るだけで入ったことないけど、当時の面影はあるのだろうか?
塩の遺跡は、当時の政府が各地に税金の代わりに、物で納めさせてた時代で、京都では塩が貴重だったから小浜には塩を要求。
その後の時代に、塩田が開発され、どこでも海があれば沢山塩が作れるようになったので、使われなくなった遺跡。
小浜は天候がよくない地域だから、日光をよく使う塩田は作れず、原始的な塩水を煮沸して塩を取る方式で大量生産できずに廃れたそうです。
なるほどね。
そんなわけで、サバに使った塩は普通の?塩だったみたい。
若狭街道! 朽木を通るということは、国道367か 何度か走ったことあるけど、今でも鯖の店があったっけ
未来へつながる鯖街道 それはないでしょ 鯖街道が繁栄した理由を知ってれば、わかるハズだが・・
船絵馬 さっきのでっかい絵も、これと同じか 絵馬の形じゃないんだね
鯖街道だけでなく、サバ関連の話も聞きました。
"鯖街道"と読んだのは後世になってからなのは知ってますが、サバが小浜で獲れたのは大正から昭和初期ていどで、ほんの一時期。
そんなに、サバ!鯖!と言うほど、サバに強い土地だったわけではないみたい。
正確には、どの時代が"鯖街道"だったんだろうね?
これから行く予定の三丁町 ガイドさんの話だと、元遊郭通り(汗 だから繁栄したんだね、納得(^_^;)
船に搭載した守神 外国みたいに女神ではないんだね・・
ガイドさんが子供だった頃、戦後間もない頃はSLが走ってて、その頃は小浜でサバがいっぱいまだ獲れてたらしい。
貨物にサバを載せるときに、何匹か落ちるらしく、いっぱいあるからいちいち拾うこともなく放置。
それを学校帰りのガイドさんが拾って、家に持ち帰ることが度々あったそうです。
そんなにサバが多かった!(^ω^)
京都の文化が、小浜にも・・
お祭りで使うアイテム
若狭街道の様子! 平坦な部分が多く、進みやすかったのだろうか?
ほかにも、昔のいづみ商店街では、川があってそこをとおって魚が運ばれてて、便利で良かったそうです。
それなのに道路を作るために、川が埋め立てられてしまったから、魚屋さんは大打撃・・。
車で店に運ぶしかないけど、商店街だから道路幅もなく運びにくい。
お馬さんに載せた鞍
馬なら平坦な若狭街道から行けばいいのにね・・ どれぐらいの到着時間の差があったのだろうか?
鯖街道のいくつかのルート 左のオレンジは何ルートなんだろ?
時代が変わると、資本主義になり、大手スーパーができはじめて、商店街は衰退・・。
どこにでもある話ですよね・・。
鯖寿司! 晴れた日にしか食べない!汗
雨が降ったら、他の魚を食べるのかな?(^_^;)
御馳走! お供えした後は、どうしたんだろ? 魚あると、我々の仲間の猫たちが食べそうにゃ( ̄∇ ̄|||)
そんな中、小浜市が海を埋め立てて、フィッシャーマンズワーフを建設。
向こうなら海があるし、卸市場もあるから楽に店に運べるし、駐車場も整備されてるし蘇洞門巡りの船も出るから観光客もくる。
それなら、向こうに行った方が売れるんじゃないかと、少しずつ移動し、移動した店が向こうの方が売れるぞ!と教えたから
それならうちも向こうに行く!、、、と、商店街が廃れていったみたい。
あーあ。
数少ない展示物の一つ わらのカゴ 鯖運んでたものとは違う?(汗
漁で使っていた道具? あんな上にあるし説明もないから、分からない・・(汗
船のオールと帽子? 写真と関連はあるのだろうか?
商店街、特に鯖街道の起点でもある商店街がなくなるのは悲しいけど、観光客目線で言うと駐車場もなく観光しにくい所より
駐車場があるフィシャーマンズワーフの方がいいから、何とも言えないですよね。
おそらく、これよりももっと複雑な事情やら、あったのでしょうが。
鯖を獲ってる絵? 説明書いてあるけど、離れすぎてて読めない(汗
貴重な写真! 落としたり、しなかったのだろうか?
これが北前船! うちの、おおばあさんが子供の頃は、北前船あったんだね
小浜が昔は、すごかった話も驚きました。
鉄道、トラックができる前までは、船による水運、海運が主流。
琵琶湖が丸子船で栄えてた時代!
帆をたたんだ北前船
テレビでは、小浜の観光PRビデオが 他のところでも見たよなあ・・
日本海側では、有名な北前船で大儲け!
越前に、そんな館があったよなあ・・。
撮影禁止だから、見学したことは一度もないけど(汗
最後は、トリックアートコーナー インスタ蠅?
表にあった、サバもトリックアートみたい