四国一周 三日目 2011.3.16 Part3
■DATA
紫電改は、最後に開発された戦闘機だけど、その流れも書いてある。
ベース機となったのは、強風。
今、外の風が強風ですよ(@_@;)
水上機の強風 紅の豚みたい
スペック
その次にできたのが、紫電だったけど、やたら故障が多くて、使えなかったとか。
戦時中の話として、戦闘機だけでなく戦車にしても重火器にしても、スペックがいいものより、メンテナンス性に優れたものが良かったと、
聞いた事があるけど、この紫電もそうだったんだ。
稼働している時はいいけど、修理しようにもメンテナンス性が悪ければ、稼働できずに、ただのクズ鉄になる。
環境の悪い、最前線ではなおさらなんでしょうね。
紫電
大幅に武装強化
最新鋭の戦闘機を大量生産してくるアメリカ軍に対して、日本も新型機の開発が急務。
そういう流れで作られたのが、この紫電改というわけです。
そして紫電改登場
スペックを見る限りでは、紫電と変わらない?
零戦の欠点として、防空性能の低さが酷かったらしい。
日本が負けたのは、生産能力等の物量の差が大きいけど、ロシア並みに日本では命を軽視していた。
アメリカの戦闘機は、攻撃されてもパイロットが助かる率が高く、経験値が高いベテランのパイロットが多くなる。
ハード、ソフトともに良質だ。
それに引き換え、日本では原料も限られているし、貴重なベテランパイロットでも、弾が当たってしまえば死ぬ確率が高い。
だから戦争末期には、頭数だけはそろっていても、初心者ばかりだからアメリカ軍に太刀打ちできない。
紫電改になって、ようやくその点も見直されたわけですよ。
遅過ぎる・・。
2Fというか、上から紫電改を見る事もできる。
この上にも、ちょっとした資料というか、この紫電改に乗ったパイロット達の紹介がある。
まだ20代前半の若い人たち。
みんな死ぬのを覚悟して、日本の空を守ったんだ。
紫電改に乗ったパイロット達
まだ若いのに・・
一人一人の紹介も載ってますね。
どんな人だったのか。
みんな、戦死したわけですが・・。
さらに進むと作文がある。
引き上げ時に、地元の学生が書いたものから、ここを見学した人たちの感想が書かれている。
男性が多いのかなと思ったけど、そういったこともなく、色々な年齢の人が来てますね。
女性も多いし。
中学生が書いた作文
少年の主張の作文
ただ一つ気になったのは、素直な気持ちが書いてあるなら、それでいいのですが、作文の大会の作品らしいから、受賞するために、
見本的な文章を書いた可能性もある。
なんだかなあ・・。
そういう意味では、重要なテーマで、そんな大会するなよ(-_-メ)
亡くなった方達、遺族にきわめて失礼だ。
上からも紫電改を撮る。
少しは、迫力が増したかな?
上から見た紫電改
コックピットも横から見れる感じ
下に降りて、さっきの続きを見る。
パイロット達の事の続きだけど、本土防衛の最後の戦いの詳細が、書かれている。
どんな気持ちで、最後の戦闘に向かったのだろうか・・。
パイロット達の紹介・・
部隊の歴史 かなり迎撃戦をやってる
部隊説明 裏方が3000人も居たんだ
松山の空中戦 敵300機に対して62機で、これだけの戦果が挙げられたなら、降伏しなくても良かった?
偵察機でも戦闘になるとは 終戦が近いなら、体当たりしなくとも・・
70機も撃墜 それだけの腕の人が山本長官の護衛についてたんだ
19機のB29に対して、たったの2機で挑む・・
あと少しで終戦なのに、機械不良で・・
激戦を生き残ったんだ F6 12機と単機で戦って4機も撃墜!
いい人だったみたい・・
写真も
この人たち全員が、ここで紹介されてても、いいだろうに
一人だけの写真は珍しい
2枚も写真がある
偵察機の彩雲 下の写真は葬儀のものか・・
アメリカ軍から見た紫電改のパイロット
一人一人の性格、評判が書かれてあり、遠い存在でしかない"戦争"をよりリアルに、身近なものに感じさせてくれますね。
こちら側にも、紫電改のパーツが展示されている。
こっちは、大きいのが多いなあ。
これが自動フラップの機械か
いっぱいある20mm機関砲の弾
紫電改のパイロット達が亡くなってからの、遺族の話も紹介されている。
これは、涙無しでは読めませんね。
死を覚悟し、出撃する息子。
それを見送る、母の気持ちは・・。
未帰還6名のエピソード 家族側の話
写真も添えられている
愛する人と、少ししか居られなかったって・・
結婚式の写真が、合成だったなんて・・
"どうか帰ってこないと思って"悲し過ぎる最後の言葉・・ 息子の方も母の方もどんな心境だったのか・・
涙無くして、読めない・・
中身の無い骨壺・・ 家族としてはやりきれない思いがあるだろうな
享年20歳・・ 若過ぎる死