長崎旅行 4日目 吉野ケ里遺跡〜武雄温泉 2013.4.8 Part5
■DATA
発掘当時の姿で公開するために、ものすごい苦労があったんですね。
よく考えてみれば当たり前だけど、空気に物が触れてしまうと、腐敗等劣化が始まってしまう。
美術品にしてもそうすが、温度、湿度などの保存環境を、常に気をつけないといけない。
そこで、外に露出していた墓を、建物で覆って管理する事にしたそうです。
勿論、それだけではダメなので、お墓に直接、劣化しない処置も施したとか。
中の様子 現代に戻って来た?!
北墳丘墓専用のパンフがある!
お墓を取り囲む様に通路があり、説明が並んでいる。
順番に見て行くか。
それにしても、興奮しますね!
これが2100年前の本物のお墓!
割れてしまっている瓶棺
2100年前のお墓で、14個の瓶棺が見つかったそうです。
王族の家族なのか、歴代の王なのか、誰だったんでしょうね。
2100年前の王族のお墓
この特徴のある、瓶棺についての説明もある。
わざわざ棺のために、大きな瓶を作ったのは、すごいですね。
亡くなる前から準備されてるのか、亡くなってから作るのかな?
ストックできるものだから、やはり前もって作っておいたのかな?
北九州だけの、埋葬方法か?
ちょっと、見にくいですが埋葬の順番( ̄∇ ̄|||)
交互に見て下さい(汗
さっき見た甕棺墓列の事も、書かれてますね。
一般の庶民の人も埋葬をしていた、弥生時代。
その当時の人口分、丸々あったのでしょうか?
吉野ヶ里以外にも暮らしてて、他の場所にもお墓が、あってもおかしく無い様な気もしますけどね。
無数の一般人のお墓
墳丘墓の作り方。
機械が無い時代に作ったので、頑張れば、誰でも作れる?!
土まんじゅう?を作って、それを上に上に重ねて行くだけ!
簡単だ〜?!( ̄∇ ̄|||)
何時の時代も、王の墓を作る時に犠牲になるのが、一般人・・
美味しく無い、土まんじゅう・・
お墓比べ。
なんか、ちょっとバチ当たりな気が・・( ̄∇ ̄|||)
他の古墳とか、遺跡とかは行った事が無いから、個人的には何とも言えませんね。
大きさで勝負? 中身で勝負?
ねこちゃ村にも遺跡はあるけど、それは古墳。
ここの説明に寄れば、弥生時代の前の物みたいですね。
古墳と墳丘墓の違いについてを読むと。
発掘作業の事も紹介されてますね。
よくTVで、ハケを持って砂とかをどけてやってるのを見るけど、どういう風にやっていくんでしょうか?
どれが遺構なのか、普通の土なのか、どうやって見分けたり分けたりするんだろう?
発掘の仕方
取出そうとしたら、崩れて破損とか、普通にあるのだろうか?
14基の瓶棺について。
中の遺骨を元に、だいたいの埋めて行った順番が分かるのも、スゴいですよね。
精度は、どれぐらい高いんだろう?
誤差に寄っては、埋められた順番が違って来たり、してきますよね。
各お墓に、管理番号が・・ ちょっとバチ当たり?
でも、規則性の無い番号?
北墳丘墓の、この建物について。
お墓が劣化しない様に、薬剤が塗ってあるけど、いきなりってわけじゃないんですね。
いきなり付けて、それが失敗どころか、お墓を損傷させてしまっては、元も子もない。
前もって実験を重ねた上で、やっています。
室内環境の取り組み
建物にしたのは、簡単、確実に環境を管理できるから。
雨風は勿論、温度、湿度の管理もしやすいですからね。
そのための物が、建物内にいくつもあります。
ここまでの行程があって、初めて今の公開が有る
そして公開へ
北墳丘墓の歴史。
いきなり弥生時代から、昭和29年に飛びますが、2100年もの歴史がある。
、、、殆どが空白に、なっちゃってますが( ̄∇ ̄|||)
長いけど大雑把?な歴史( ̄∇ ̄|||)
たいてい、工事かなにかのために地面を掘って行くと、出て来たって言われるけど、畑を作ろうとして出て来たんですね。
当時の人からしたら、墓潰して畑にするとは、なんて罰当りなってところでしょうが。
ひょっとしたら、現代人のお墓等も、遠い将来そうなるのかも?(汗
装飾品の数々。
この当時では貴重で珍しかった、ガラス玉。
副葬品として、いっぱいでてきたみたい。
王である証?
そんなに大して奇麗にもみえないけどね。
他にも銅剣も出て来ました。
ドラクエで言うと、最も弱い武器、、、ヒノキノボウがあったか。
とにかく弱い武器ですけどね( ̄∇ ̄|||)
ショートソード
この剣などはレプリカだけど、このように発見されたと再現している
やはりあった、瓶棺の中の再現。
遺体が入って居た状態です。
ミイラにはならず、骨で見つかっているから、推定の部分もあるのかな?
恐怖の棺内部の再現・・
足を組んでいるけど、死後硬直を考えると、亡くなってすぐにやらないと、できないのでは?
科学的に可能なんですよね?
想像すると、王が虫の息の時から埋葬準備が始まり、亡くなったと同時に埋葬するために、王の遺体を皆で、足を組ませた姿をイメージして
しまいますね。
瓶の中に入れられた亡き王
最後は、神懸かりというか、その当時の生死観。
"南北"が重要な意味を持っていたこの時代。
お墓も勿論、例外では有りません。
この当時、宗教ってあったのかな? まだそこまでは確立されてない?
今の時代の様に計測できる時代ならともかく、文字も数字も単位もあったか分からない時代に、意図的にやろうと思って、できたのでしょうか?
1本の直線上に、奇麗に重なる様に配置するなんて。
偶然なのか、現代人が、こじつけてしまったのか。
奇麗に直線上に・・
お祈りかお告げをしている図か
これで大きい物は、見終わった。
あとはのんびりと、、、っていうわけでもないけど、少し急いで古代の森を見に行かないと。
まだ2時間ぐらいは有るけど、敷地が広い分焦りますね。
距離的にもですが、迷う可能性もあるし、探さないといけませんから。
森のある方向に行くと、工事をしていて行けません。
今は、やってないって事じゃないよね?
森の他にも、まだお墓もあったと思うし。
進めない!
あちこちに木々がいっぱいあるので、どこが"森"なのか、よく分からない。
違ったとしても、ここを"森"ということにして済ますか( ̄∇ ̄|||)
ここからが、古代の森ゾーンか
植物の移り変わり
始めと終わりといっても、600年もの流れが有るんですね
■古代植物館
中々シャレたデザインの植物館
大きな建物に到着。
ここが、古代植物館ですね。
植物には、そんなに興味無いけど、せっかくなので。
3分1のスペースは、体験コーナー
いやいや、そんな物見たく無い(>_<)