長浜鉄道スクエア 2012.4.10 Part4
■DATA
さてここから、本線、、コーナーに戻る。
ここ北陸線で走って居た、機関車の紹介。
色々有るけど、大中小といった感じ?
小さい猫用SLから、大きいD51まで色々。
ちなみに、ガイドさん曰く、D51のDは動輪、、動力となる車輪の数を表すんだとか。
子供の頃に、電車の本で見た覚えが・・。
Aから1輪、Bが2輪といった感じで、Dが四輪。
だから、アルファベットが進む程大きい機関車。
D51の模型
北陸本線の歴史。
今では、重要視されてませんが、当時は戦争も有ってか重要視されてたみたい。
飛行機もあっただろうけど、今ほど手軽ではなかったでしょうしね。
急な上り坂、トンネルが多くて大変な難所だってみたい
輸送力を強化するために、色々な取り組みをしたらしい。
今から思えば、そこまでする必要性は、無かった様な・・。
時代はさらに、変わりますからね。
当時の写真
重連! パワーアップ!!
コストのかかる蒸気機関車から、電気機関車へ。
時代の流れが、やって来る。
改善策として、電化を選択
ここから交流と直流の話が、出て来る。
なんか電気の話は、嫌だなあ。
感電しそう( ̄∇ ̄|||)
電気機関車の模型
こういう規格の問題って、古今東西無くなりませんね。
なんで最初から、統一して作らなかったんだろうと、思うけど。
少し考えれば、近い将来、問題化する事は分かっているだろうにね。
後先考えずに、作るからだよ。
交流と直流の接続1
その中間策として、非電化区間があり、その区間はディーゼルや蒸気機関車を使ったんだとか。
最後の生き残り空間?
機関車の付け替え かなり面倒臭そう・・
運営側の手間とコストは勿論、利用者側も面倒だったでしょうね。
直通ができないから、いちいち乗り換える必要が有るし、ダイヤ的にも待つ必要があるかも
しれないし。
これの実車が隣の建物に、展示されてます!
想像するだけでも、とても手間がかかり、大変だった事がわかるけど、実際はさらに大変
だったみたいですね。
それらを改善するための、取り組みもこれまた大変。
誰だよ、直流、交流と分けて作ったの!(`Д´#)
交流と直流の接続パート2
苦労の末、ようやく交流化に成功。
当時の苦労を思えば、相当の喜びだったんでしょうね。
関係者にしても、利用者にしても。
その様子の写真も有りました。
今のディーゼル機関車の原型みたいな形をしてる
しかし、直流、交流のややこしいところは、せっかく交流化しているのに、その後に直流化。
おいおい、交流化は何だったんだ?!
苦労の意味が無いじゃないか。
わけわからん・・。
また交流化するんじゃないの?(-_-メ)
交流電化 交流で決まりか?
この後で見ることになりますが、技術の発達で、直流化でもメリットが有る様になったとか。
迷惑な技術発達だよ・・。
みんな大喜び! そりゃ。面倒な乗り換えとかが解消されればね
念願の直通電車が! でも直流では・・
最後は、これまたオマケ的なコーナー。
ナショナルトラスト。
聞き慣れない言葉だΣ( ̄□ ̄;)
ナショナルトラストの解説
でも観光地紹介みたいで面白そう。
近場で、いいところがあるといいんだけど・・。
近代化遺産か
鉄道だけでなく、多種多様にある
ここも行ってみたい 次の一泊ドライブで行ってみるか?
こんなにSLがいっぱいあるの?! 私のコレクションにしたい( ̄∇ ̄|||)
、、、最後かと思ったら、まだ見てない所が有った!
外周周りで、ぐるりと見て回ったけど、まだ内周というか内側のコーナーを見てなかった。
ああ、まだ見ないと行けないのか(汗
長浜に限らず、日本の鉄道の話。
明治後期から昭和までの。
再び、聡明期の日本の鉄道
ガソリンで走る電車?! でも今現在、電気の電車ばかりだからガソリンのメリットは無いのか
最初の頃は、珍しさもあったり、コスト的な物が有ったりして、一般庶民の物ではなかった鉄道が
だんだん庶民の生活に溶け込んでいった。
それを外人の漫画家がスケッチした様で、それが面白い。
再びビゴーさんのスケッチの紹介
当時の風俗というか、生活が分かりますね。
外人が見る事に寄って、客観化してみれる訳だし。
今でも車内で寝る人は居るけど、こんな布団持参の人は・・
今では、ありえない光景が、いくつかあった様で、面白いですね。
ある意味、怖かったかもしれませんが・・。
そういえば、今の時代は授乳してる人は居ませんね( ̄∇ ̄|||)
普通の人が、信号の変わり?!
再び、長浜が当時は要所だった話。
せめて過去に栄光が有ったなら、二度とその栄光が来ないなら、振り返るしかないですから・・。
交点から通過点へ・・
この辺りの、当時の写真パネルが、何点かありました。
その中に、柳ヶ瀬トンネルがあったけど、それって以前に見つけたトンネルの事かな?
柳ヶ瀬トンネル 手作りトンネル?
解説の中に"柳ヶ瀬"の地名が何度も出て来るけど、岐阜の猫としては複雑ですよね。
柳ヶ瀬と言えば岐阜ですから。
柳ヶ瀬も、今となっては没落しましたが、私が子供の頃は町でしたから。
鉄道模型も、柳ヶ瀬に行けばありましたし。
レール
岐阜の柳ヶ瀬の話ですが、今でこそ郊外の大型SCがあるけど、当時はそういったものがなく
電車が発達していた事もあり、ねこちゃ村の人だけでなく、付近の村の人達は柳ヶ瀬を始め
岐阜まで買い物に行ってましたよ。
車が普及してからは、柳ヶ瀬をはじめ岐阜市は衰退の一途を辿りましたが。
鉄道連絡船 3時間もかかったのか・・
そして、その反映していた頃に、美川憲一の柳ヶ瀬ブルースのヒットに寄り、全国区の名前に。
、、、なったと思う。
だから柳ヶ瀬と言えば、岐阜。
それなのに、なんですぐ近くの滋賀県にも、柳ヶ瀬が有るんだ?!
両方とも栄華を極め?没落する運命というのは、興味深いですが・・。
再び旧長浜駅 なんで、屋根?が無くなってしまったんだろう?
長浜駅の開業の様子。
日本の鉄道史の一コマでも、あるんでしょうね。
当時としては、かなりの物珍しさがあったでしょうね
なんか、へんてこりんな汽車と客車・・
その当時に使っていたと思われる物も、何点か展示。
当時としては、何でもなかったものかもしれないけど、今では貴重な物になるのか。
携帯日時計? 時計自体が、高価だったのでしょうか?
イギリス製だったけど、耐久性が無かったみたい
なんと、天皇までやってきた!