登呂遺跡 2013.8.7 Part5

DATA

まずは農業の説明。

やはり、農業は重要なんでしょうね。

 

戦時中に発見された珍しい遺跡

 

特別史跡でも、高速道路優先なのか・・(汗

 

説明とともに、実際に出て来たと思われるものがいくつか展示されてました。

よくもまあ、2000年以上も残ってたよなあ。

木製品なのに。

 

集落の変遷

 

一番最初 ここに住むかと、場所の良さそうな所に家を建てる

 

他の人も住みだして、集落がムラヘと発展・・

 

人はいつしか神の怒りに触れて、被災する・・

 

最後は、他の土地を求めて旅立って?いく・・ 福島は放射性物質の破棄する場所へと・・

 

米の種類って、多いんでね ブランドってわけじゃないし

 

ものすごく効率の悪い方法だけど、まだ貨幣も無いし、人口も無いし十分だったんだろうね

 

ちゃんとした形で残っていれば、まだ何だったのか分かりやすいけど、バラバラになってたり

虫に食われたりしたら、土器と違って復元は勿論、何であったのか分かりにくそう。

どうやって、これは何々だって判別してるのでしょうか?

 

いよいよ道具が出て来る!

 

発掘して出て来た道具

 

次は建物の説明。

屋外展示の順番に、博物館も説明している感じなのかな?

 

屋外展示でもあった建物の説明

 

何は無くとも、家が無いとね

 

実際に使われていた部材

 

おうちの断面というか、骨組み 全て人力だから大変だったろうね

 

主に2つある建物について説明。

住居と倉庫。

登呂遺跡では、規模が小さいから2種類しか無いけど、吉野ヶ里では墳墓、櫓、大きな祭事用の建物が

あったけど登呂遺跡には、全く無かったのかな?

 

高床式! この時代は洪水とか普通に多かったんだろうね

 

出た! ネズミ返し! 今の時代なら特許ものか

 

何故か、階段?ばかりが出て来たというか、残っていた?

 

続いて食事。

お腹減った・・(>_<)

 

海の幸、、と言っても、交通、輸送が無かった時代だから、沿岸部だけでは?

 

トロは食べていた?! ウリボウ食べられてたんだ・・(>_<)

 

大きくわけて2つ。

狩りをして捕った肉類と、栽培したり収穫した植物類。

毒があるものもあっただろうし、当時はそういった知識とか少なかったから、死ぬ人も多かったんでしょうね。

 

食事の1年の流れ

 

まさに食べるために、生きるために生活していた時代

 

当時としては、狼とか今では絶滅した動物も、普通に居たのでしょうか?

この時代の猫って、どんなんだったんだろう?

まだ日本では、家畜化されてないのかな?

 

当時の食べ物 冷蔵庫が無い分、新鮮な魚を食べていた?

 

この辺りは海が近いから、魚が食べれただろうけど、海が無い地域ではどうしてたんだろう?

川魚だけだったのでしょうか?

岐阜なんて、全く海がないですからね。

どうしてたんだろう?

 

食べられてしまった動物の遺骨 猫無くて良かった( ̄∇ ̄|||)

 

狩猟の道具もありました。

弓はともかく、石なんて普通の石。

よく道具だと分かりましたね。

 

生きるためには、動物を殺すのも仕方が無いか・・ 人だって殺す必要が・・

 

出土した弓?!

 

普通の石にしか、見えないけど・・

 

ここで土器が出て来ます。

調理したものを、置く物として土器というか、入れる容器として作ったんですね。

冷蔵庫が無いから、生物はすぐに食べなきゃ、いけなかっただろうけど。

 

木の器なんて、風情が有っていいね

 

素材事に、作られた物が違う?

 

実際に出土した土器等

 

おたま? 材質が木というだけで、現在と変わらない気がする

 

道具の進化。

ここから本格的に、土器や石器などの道具がいっぱい出て来ました。

サルとヒトとの違いか。

 

既にこの頃から、金属が登場

 

道具の道具?!

 

石製品 ただの石ではない様だけど、道具にも見えにくいよね・・

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