馬籠宿 2016.7.11 Part4
■DATA
私が想像したのは、上から見下ろす馬籠宿の一望。
白川郷でも展望台から、全体が見えましたよね。
、、、しかし、ここの展望台は、そんなに高く無い様だけど、そこまで見えるのか?(汗
展望台は、広場の様に横に長くなっていますが、どこから見ても馬籠宿の一望は全くできませんでした。
見えるのは恵那山だけ!
うわぁ、またやられた(>_<)
展望台からの眺め うーむ
でもまあ、ここまで来た事だし、休んで行くか。
あとは戻るだけですからね。
保存区域に指定されると、住居に制限が・・ 観光業するならともかく、それ以外の人達は大変・・
この馬籠宿の事が書かれていたけど、私も知ってるけど、元は長野県だった物を岐阜県がもらったんですよね。
太っ腹だなあと思ってました。
岐阜県に返還記念碑
ところが真実は違っていた様で、元々は馬籠宿は岐阜県。
しかし長野県に近い分、長野県の交流が深いので、いつの間にやら?長野県になっていた。
それを岐阜県に、返却?したという経緯みたい。
そんなことが、あるのか( ̄◇ ̄;)
恵那山! 高そうではあるけど、立派な山ではないよなあ・・
少しは雄大になった?
ここから先も進む事が出来て、中山道だから次の宿場町まで行けます。
その次に有るのが、10年前に行った、妻籠宿。
ここと勘違いしてましたよ(汗
次の宿場町へと進むフランス人親子
外人さんは、せっかく日本まで来たのだからと、その先も歩いて行ってました。
子供連れだったりしたけど、大丈夫なのかな?
距離は7km程度ですが、上りだったり自然歩道に近かったり、するでしょうし。
団体さんも来ているみたいで、ばあちゃんの集団が来ました。
トレッキング装備してるけど、この先も行くの?
趣味とは言え、大変だね・・。
休憩してたら・・(;´д`)
さてと、人も多くなって来たので、私は戻るかな。
食事とか、どうしたものか・・。
パート3入口に有った古い蕎麦屋さん 外にメニューないと入りづらい・・(汗
■馬籠宿本陣資料館
ここが馬籠宿の資料館!
てくてくと元来た道を、戻ります。
帰りは下りだから、楽で良い。
行きに寄った時はクローズしてた資料館が、オープンしていたので見学する事にしました。
料金は300円。
安い!
説明
入場券 写真は本陣ではなく、玄武石垣
本陣資料館のパンフ
見所 大部分を占める展示室の扱いが少ない?(汗
一番知りたかった、中山道の事について書かれてました。
530kmもある、江戸時代の国道。
京都から東京まで、繋がってたんですね。
今では考えられない様なシステムだったんだな・・
中山道の真実! "なかやま道"とは言わないもんね(汗 屁理屈新井白石( ̄◇ ̄;)
宿場町は69もあり、この馬籠宿は、その1つ。
全国各地に今も宿場町は有るけど、観光地になってるほど残ってるのは、どれぐらいあるんだろう?
宿場町 徳川ってとことん悪だねぇ・・ なんで悪の首領家康が持ち上げられてるのか理解できん(~_~;)
当時の自治制度?
私も所々、観光しているけど、4つか5つぐらい。
福井県の熊川宿、長野県の奈良井宿、妻籠宿。
あと、他にも有ったよなあ(汗
静岡県の浜名湖の辺にも有った気がする・・。
中山道全体MAP
やはり大抵の宿場町は、消滅しているようですね。
元々は参勤交代や、旅人の宿場町として栄えていたのに、それらがなくなれば宿としてやっていけない。
お店同様に、儲からなければ続けれないのは同じ事。
現在の宿場町? この写真でも十分"昔"の様な・・(汗
有名だったり大きな宿場町なら、文化財としての保護もあったり、観光地として生き残る事もできただろうけど
全部が、全部ってわけじゃないでしょうしね。
無くなった所の人達は、どう思っているんだろう・・。
年代物の車が走っている・・
なんか、中山道とは関係無さそうな、アックスが展示されている。
林業をしていたって、こと?
木曽の山林 武器展示!
この後、音声付きの解説が有る所が有ったけど、恐ろしい事を言ってましたよ。
木を伐採するのは禁止で、傷つける事も禁止されてたらしい。
斧ではなく"よき"? 金田一耕助みたい・・
もし破ると、枝を折ったりした場合は、手足を切断。
バッサリと切り倒したら、首を切断、、、つまり死刑。
本当に?!(;´д`)
尾張藩はウハウハな反面、地元住民は・・ 枝を落としただけで腕が飛ぶ!!(;´д`)
その理由は、やはり幕府直轄地だったから。
国有林以上のモノですからね。
無茶苦茶な掟 木の葉、小枝を持ち帰っただけでも死刑?! 木より軽い人の命 流石、徳川幕府
でも説明を読むと、元から直轄地ではなく、元々は一般人の土地。
それを、いい材木ができるという理由で没収。
酷い、酷過ぎる・・。
中国並みだな、徳川家康!(`Д´#)
バトルアックス!!
ノコギリ禁止の理由が・・ 見張っている人も居たのだろうか・・
恐ろしいと言えば、この時代の恐ろしい物の代表格、火事があります。
江戸でもそうだけど、この当時は木造家屋ばかりだし、密集して建っていたから、一旦出火したら大惨事。
全焼どころから、村全滅は当たり前でしたからね。
頻繁に燃えている!! 建て直したと思ったら、また燃えたって・・(;´д`)
消防車や防火施設も無く、燃えだしたら消す事は出来ない。
それ故に放火は重罪で、磔の上、市中引き回しの上、晒し首。
今も、この制度を復活させるべき。
当時の消火設備 名前だけは凄い龍吐水! 実態は蛇程度?(;´д`)
説明で、この馬籠宿の建物は、全部燃えてて、本物ではないと言ってたけど本当?
ただ単に、古い様に作って、見せかけてるだけ?(;´д`)
燃えた箇所 殆どが燃えている!! 建てるなら端っこが吉か・・
資料館定番の、昔の家の中を再現したコーナーもありました。
囲炉裏があって、家族団らんする居間かな?
台所?
ところが、当時は父親が神様の様な扱い。
上座とかあり、座る位置を守らなければいけなかったとか。
大変だね・・。
重労働は男の役目じゃないのか(~_~;) 昔の女性が男女平等を叫ぶ資格は有るけど、今の女性は・・( ̄◇ ̄;)
薪をくべるのは子供の仕事?
現代の父親なんて、ATM以外の何者でもない。
座る位置なんか無いし、家族内での地位は一番下。
お金だけ取られて、働けるだけ働かせてポイ。
勿論、趣味なんかさせないし、お小遣いも制限しまくり!
すごいね( ̄ω ̄;)
なんで、猫がバカと同列なんだよ!!(`Д´#) バカは家長のお前だ!! ウンコでもしてやれ!!
大きなショーケースに、当時の生活用品が展示されている。
いつも思うけど、よくちゃんと残ってたよなあ。
沢山の掛け軸
お化粧道具
こうして見ると、今でも普通に使えそう。
丈夫なのかな?
アクセサリー こうがいって、何だろう?
家紋入りの湯のみ!